「右のポケットと左のポケットを……」とか、競馬・ギャンブル絡みで言われる言葉、すなわち博打の金と生活費はキッチリ分けろと。それがどういうわけか、この吝嗇の俺、メーン口座からの即パットによって死に体。むろん、そこまで博打につぎ込む金が大きくなることはないが、「JNBの口座残金が少ないから」という理由でかかっていたブレーキ、コンビニから預け入れする心理的抵抗、これがバカにならんと気づいた冬の終わり。
- 「JRAが俺の生活費を狙っているよ」http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20071205#p2
……というわけで、豪華土日の回顧もする気はおきない。クイーンカップはラルケットの夢を見て敗れ、京都記念はアドマイヤオーラで自信があったがでかくつぎ込めるわけでもなく、フェブラリーステークスはデアリングハートで一瞬夢を見たがそこまで。
デアリングハート、俺は狙撃術から見て気になったが、後に水上学が清水成駿公式サイトで名前を挙げ(本命にしたかは知らない)、また、著者の亀谷敬正も名前を挙げた。狙撃術の本は「この距離、このコースではこの父(もしくは母父)が金になる」という統計を集めたものだから、レース結果の集積と血統の相関関係から馬券を考えていく場合、自ずから似た選択肢からの結論が出るのかもしらん。
相関関係、これをどこまで因果関係に踏み込むかというのが、どこかしら分かれ道のような気がする。因果関係に踏みこんで演繹する、妥当なところだが、そこにデータから乖離した思いこみが生じるような気がしないでもない。ただ、未知のレースを相手する以上、因果関係と類推、これが武器であり、楽しみでもある
……いや、「過去このコースではこの種牡馬の子がやけに勝っている」という結果から、同じ種牡馬の子を買うのも類推には違いないか。しかし、「このコースではこの種牡馬の子がやけに勝っている」→「胸前がよく発達し、前肢のかき込みの強い子を多く出す種牡馬だから、力のいるこのコースに合うのだろう」→「それゆえに……」の真ん中んところを、どこまで理屈づけて、その上で敷衍するか、そこに何かがあるように思われる。
しかし、相関関係、相関関係さえはっきりしていれば、注目する対象は「担当厩務員の生年月日」だろうと「馬名に含まれている濁音と拗音の数」だろうと何でも馬券必勝法となりうるとは思う。ただ、やっぱり単なる数字と数字よりも、血統とその傾向という目に見える何かを取り扱う以上、血統が競走馬の根幹である(なにせ血統がなければサラブレッド系競走に参加できない)以上、血統を見るやり方は根本的に好きだな、俺は。
……と、いろいろな現実から逃避して終わり。