第2回アメトーーク大賞を見た/有吉について

 たまに観るアメトーーク、外れの少ない番組だとは思う。いや、ほとんど外さない。ただ、「なんとなくチャンネル回しててやってるのを観た」というのが好きなので、見逃しが多い。個人的事情により「熟女好き芸人」の回など、絶対に観るべきであった。俺に「灰まで」の覚悟はないが、三十代を熟女と呼べないというのには同意するところである。
 それはともかく、そんな番組の総集編となればツボにはまりっぱなしだ。「カンチ、アナルセックスしよ!」という気分だ。ケンドーコバヤシはいい。手を振って別れるのには惜しい。俺は、七時台や八時台の番組で「抱かれたい」とかそんな言葉でセックスの話が流れたり、SだのMだのの言葉が流れるのを快く思わないが、十一時台くらいになれば「アナル」、「オナホール」くらいはいいんじゃねえかと思う。そんな時間に子供が観ていたら、寝かしつけられない大人が悪い。
 しかし、TENGAというのはそんなに良い物なのだろうか? 深夜ラジオを聴いていても、しょっちゅうその話ばかりだ。例えばもう、麻薬のように男を虜にしてしまうようなものだろうか。芸能界に広がる深刻なTENGA汚染。それに影響された若者たちがファッション感覚で気軽に手を出す。学業や仕事がおろそかになる。収入はすべてTENGAにつぎ込まれる。子供も作られない。これは社会の危機だ。正しい性教育が必要なのではないか。逆に言えば、敵対国家にTENGAをばらまけばいいと思う。恐ろしい。
 TENGAの話ではなかった、有吉弘行の話である。昨夜の破壊力もすさまじかった。ブラックマヨネーズに対する「田舎のポン引き」、「哀しきモンスター」から始まって、「病み上がり」に「無駄におしゃれ」。ベッキーを一撃で葬った「元気の押し売り」。
 そんな中で一番よかったのは関根勤に対する「説明ジジイ」ではないだろうか。アメトーークにおいて、あの角席を占めて微妙にウザい関根を、見事に突き刺した。これは見事だった。画面から伝わる関根のちょっとした温度の違い、進め方の違和感を突いてみせた。
 いやはや。昔、ギター侍という芸人がいたのだけれど、まったく切れ味が違う。いや、切るというより、体を密着させてドスでブッ刺すような感じだ。そこに視聴者である自分、あるいは他の視聴者の体重が乗っているのだからたまらない。これは人間凶器だ。ぶっ倒れる。ケンコバと、どっちが先にテレビとバイバイするかというところだ。大丈夫、地獄を見た人間は強い。
 ところで、ライシャワー博士の日本論の中に、「ボケに対するツッコミは、切腹における介錯のようなものである」という記述があったけれど(まったくの嘘だけど)、あれだね、クソ滑りしたボケが腹から腸垂らしながら死にきれないのを見るのは切ないね。辛いね。ワッキーのことなのだけれど、あれはもうね。いや、有吉のあれにしても、ワッキーのこの芸にしても、しょせんはテレビ。すべて構成作家が書き、カンペの指示通りに進めているのかもしれない。しかし、もしそうだとしても、あそこには人類の悲劇が顕現していたよね。最後、無理矢理宮迫が首を切り落とさなければ、昨日は眠れなかったと思う。お笑いは怖い。

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 有吉のあだ名まとめサイト。「昼メガネ」、「汁男優」、「被害者面」、「金髪豚野郎」、「フィリピントカゲ」あたりが好き(なんか違うの混じってるな)。wikipedia:有吉弘行がつけたあだ名の一覧は、著作権侵害で審議中。