日本プロ野球の長い歴史の中にはいろいろな名打者、強打者がいたが、八重樫幸雄ほどピッチャーに対して正面から向き合った男はいなかった。昭和の子供たちはみな八重樫に憧れ、そこの空き地、あそこの少年野球場で、それぞれにピッチャーに向き合ったものだった。しかし、そのフォームゆえにどうしても振り遅れてしまうのだ。それが八重樫の構えの宿命だった。どんどんボールとバットとのタイミングは広がっていき、その差が極大にまで開いたとき、世は平成になった。八重樫はどこにも見あたらず、キャッチャーマスクを被るのも、ヒットを打つのも古田敦也になっていた。しかし、昭和の子は取り残されて、まだボールを待っている。マウンドから投じられる剛速球、変幻自在のカーブ、内角をえぐるシュート、すべてを打ち返すつもりで、マウンドに相対している。いつまでも、正面を向いて、ボールを待っているのだ。