カメルーンは負けた。監督と選手の仲が悪かったからだ。フランスは負けた。監督と選手や、選手と選手の仲が悪かったからだ。だから、サッカーというのは仲良しが勝つスポーツなのだ。
イタリアとスロバキアの試合を見ても、それは明白だった。いや、イタリアの人たちの仲が悪かったかどうかはわからない。ただ、誰がどう見てもスロバキアのユニフォームの方が、南葛っぽかった。いくらガットゥーゾが顔面ブロックの石崎くんのファンでも、南葛そのものの方が強いのだ。言うまでもなく、南葛イレブンは仲良しだ。ボールとも仲良しだ。
だから、日本代表も仲良しであるべきだし、仲良しなら負けない。ただ、デンマークも仲良しのようだ。少なくとも、チーム不和の話はあまり聞こえてこない。たとえば、ポールセンという選手が三人もいて、「やあ、僕はポールセンだ」「奇遇だなぁ、僕もポールセンなんだ」「おいおい待ってくれよ、なんて偶然なんだ、俺もポールセンだ、よろしくな!」という具合で、とても仲良しだ。
そういうわけで、中村俊輔をあまりいじめたりしない方がいいのだ。彼だって好きでチームの戦術から不必要とされたわけでもないし、冴えないプレイをしたわけでもないのだ。
……いや、むしろ、俊輔選手は、ひとりで日本の「負」を背負おうとしているのだ。サッカーについてよく知っている人も、知らない人も、やれ「あいつはよくない」、「こいつは外すべきだ」、それがいろいろな選手に振り向けられたら、負の想念がアフリカ大陸までとどき、仲良しさがそこなわれるかもしれない。
しかし、そこで俊輔選手があのような、まったくよくないイメージを一身に引き受けることで、負の想念が散らばり、輻輳することを防いでいるのだ。ああ、なんという悲劇の背番号10。こんなハードワーカーはほかにはいないじゃないですか。
……などと書くと、やはり俊輔選手への揶揄に思われるかもしれない。しかし、私は半ばマジなのだ。
本当につなぐ必要があれば、その場面でバントの巧い選手を代打に送るべきである。バントに失敗した多村仁は過去三年で二回しか犧打を成功させていない。去年に至ってはゼロである。これではつながるものもつながらない、単なる精神論にすぎない。そういう意味において、多村は悪くない。
これを、準決勝でもその前の試合でも繰り返していたのです。昨日の試合では、アナウンサーも解説の佐々木主浩も指摘していましたが、本当にこの用兵は理解しがたいものがあります。多村がバントの構えを見せたとき、「王はわざと負けるつもりなのか」とすら思いました。ベンチには代打の名人宮本慎也がいるじゃないですか、と。
ワールドベースボールクラシック:準決勝を終えて - 関内関外日記(跡地)
……が、結果として多村のミスを帳消しする形で、不調でスタメン落ちの福留が代打で出てきて本塁打するのだから野球ってのはわからないんだなぁ。その後には宮本のタイムリーだもの。
テレビの前の野球ファンに指摘されるような采配では見えない流れのようなものがあるんだろうか。あえて多村を人柱としてバント失敗させることによって、もっと大きな流れを生み出す。そんな呪術的なまでの‘犧打’があるのだとしたら、とてもじゃないが王監督の采配を批判できない。
そうだ、岡田監督もまた、呪術師かもしれないのだ。最初は、自分がすべての「負」を引き受けた。「監督悪し」「悪し、悪し」といわれているあいだは、選手はなかなか非難されないからだ。そして次に背番号10が……。
いや、やめやめ、なんかつまんない。時間調整に失敗して、なんか夜中起きてるからこんなん書き始めたけど、しっくりこない。まあ、ともかく応援しよう。その、俊輔だって、代打逆転ホームランみてえなのあるかもしれねえし、なにがあるかわかんない。「なんとなく勝つんじゃねえの?」って思えてカメルーン戦に比べると、どうも日本有利の情報は少ないようにも思える。でも、オランダといい勝負したという根拠もあるし、なんとかなってんだろ、今の日本。だから、たぶん1-1くらいで乗り切る。弱気? まあいいさ、今はともかく、試合開始まで起きていられるかだ!