田原成貴、あるいはいつ終わるともしれぬ直線について

 ある種の栄光をつかみ、いろいろの理由で恵まれぬ晩年を送りこの世を去る人間がいる。いろいろの理由には政治体制の変化であるとか、時流に置いてきぼりにされたとか、あるいはその個人の引き起こした事故や事件ということもある。ある種の天才がある種の破滅をする、そんなよくある話もある。
 俺は田原成貴が破滅型の天才であったかどうかはわからない。ただ、破滅した天才であるとはいえるだろう。田原成貴は、少なくとも競馬人としては破滅してしまった。もちろん、今後田原がどのような人生を歩むかもわからない。今回の件も「逮捕」されたにすぎない。まだ若い。またこの先に栄光がないとはいえない。とはいえ、清水健太郎のようになる可能性もある。
 今回の報道記事を読んで感じたのは、「長いな」であったかもしれない。なにが長いのか。田原の破滅が、だ。妙にそのことを感じたように思う。伝記でもWikipediaでもいいが、「引退後は事業に失敗するなど恵まれなかった」などと書かれる、その晩年の長さ。Wikipediaであれば、ほんとうにたかだか一文にすぎないかもしれない。伝記などにしても、栄光との対比のスパイス、オチのようなものだろう、多くの場合。
 ところが、田原が中央競馬会を追放され、どれだけ経つか。なんだろう、田原の破滅は現在進行形なのだ。10年後か20年後か30年後かわからないが、このままの感じで田原がこの世を去るとしよう。そしてその先に田原のことが記されるとしよう。たぶん、「競馬会追放後は繰り返し事件を起こし〜恵まれなかった」とまとめられてしまうだろう。50年後のもの好きがWikipediaで過去の騎手の話を漁り、[人生]だとかタグをつけるだろう。
 とはいえ、田原はまだ50年後ではないし、俺も50年後ではない。俺が競馬をはじめたときは、まさに騎手・田原最後の絶頂期だったし、そのときの俺は今のところ続いているし、同時代の田原をおそらくはおおよそ同じ時間の流れで観測してきたし、今も観測している。要約されざる時間がある。田原にも人生の時間があって、いつ終わるともしれない。時間があるのだ、うんざりするような、時間が。一瞬たりとも栄光のなかった人間にとっても、また。


 ……大外枠のゲートを出たフジワンマンクロスは、まっすぐの進路を取る。他の馬が内側に切れ込み、それぞれのポジションを確定させようとするが、フジワンマンクロスはただ一頭、ぽつんと大外枠を走っていく。そのままコーナーが来てもフジワンマンクロスはまっすぐ走って行って、コースから飛び出してしまう。コースからも競馬場からも飛び出してしまい、ついには時間の外側にまで出てしまう。鞍上はもちろん田原成貴。ときどきそんな夢をみる。

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 ※画像は『優駿たちの蹄跡』第1巻第6戦「やっぱり成貴やなぁ」より。この巻ではエリモジョージの話と戸山為夫の話に弱い。