たとえばおれがオーストラリアの回転寿司屋の店員だったとしたら、パドック映像のトーホウジャッカルの体型がステイヤー的であること、少なくともトーホウアマポーラとは違うということをすんなりと受け入れて、あっさりと本命にできただろうか。メジロの血と大久保洋吉―吉田豊ラインの物語であるショウナンラグーンを切り捨てて。もしも競馬に「5着か6着になる馬を当てる」という馬券があるのならば、その方式でおれはショウナンラグーンを買ったことだろう。だが、万が一のこともある。前走のトーホウジャッカルのデタラメな再加速はあの距離ならではのことではなかったのか。他馬をあざ笑うような長距離血統のなせる技があるのではないか。ここぞという場面で、中位くらいにつけて一気のロングスパート。あるいは、内々を進んで最内に潜り込んで一気の突き放し……。だめだ、いずれも吉田豊のイメージに合わない。おれはそんなに競馬を見ていないから、「吉田豊ってそういうことするよ」という話もあるかもしれない。しかし、おれのイメージの中の吉田豊はそうではないのだ。なにかこう、後ろから行って、末脚にかけてみました。5着でした、というイメージがある。少なくともメジロラグーンもといショウナンラグーンとのコンビでは。もちろん、馬のせいでもある。さんざんに迷った。おれはどうしてもトーホウジャッカルの前走、狂気とも言える最後のひと伸びが頭から離れない。しかし、おれは思えばダービーだってラグーンを本命にしたのではなかったのか?
結果といえばおれはショウナンラグーンを本命にした。ほんのちょっぴりジャッカルの単勝を抑えて補填はしたが、完全な負けである。三連複もゴールドアクターを入れていたので引っ掛けたかと思ったが、ダービー馬の方を取っていたので抜けていた。あれだけ頭にあったトーホウジャッカルを取るべきだった。情のようなものに流された。あるいは、まだおれは長距離競走に……字面だけの長さに重厚な血統のようなものを求めてしまっているのか。皐月賞馬の方が菊花賞に向く、など。
獲れたはずだったが獲れなかった。思えばスプリンターズステークスもそうだった。後藤浩輝がらみだったか、アドマイヤコジーンの映像が流れていて、「ここはコジーンか?」とピンときたのに、それを押し殺して好きだったオレハマッテルゼの子などを買ってしまった。秋華賞に関しては、何が勝ったかすら覚えていない。
いずれも遊びだから買える。本当に少ない額しか買っていない。そして、遊びの中でおれは大いに悔いている。おれが遊びじゃないと思える額を買ったときと同じように。とはいえ、遊びじゃない額を突っ込んだら、おれは食えない。食えないのに、こうして競馬を再開してしまったのはなぜだろう。名残惜しいこの世、お別れに会心の的中を胸にいだいていきたいと思っているのだろうか。ふん、だからって払い戻しは幾らだ? 金がない、金がないのだ、もちろんオーストラリアに行く金もないのだ。まったく。