幻覚剤を使わない人生に意味はあるのか? 『幻覚剤は役に立つのか』を読む

 

原題は「HOW TO CHANGE YOUR MIND」。邦題は『幻覚剤は役に立つのか』。幻覚剤は役に立つのか? 役に立つに決まってんだろ。そりゃあこの本を読め、この文章を読め、ウハウハザブーンだぜ!

……というところまでテンションは高くないにせよ、著者自身の「地下に潜ってみる」経験と、瞑想によるその体験の反芻の中で生まれたであろうこの本は、なにやら多幸感に包まれているようですらあった。

もちろん、著者がラリって書き散らしたサイケデリックな神話体系というわけじゃあない。至極、冷静だ。LSDのヒッピー時代を冷静に振り返り、ティモシー・リアリーをぶった切り、ありったけの懐疑心で「地下に潜り」、今、再び盛り上がってきている精神医学における幻覚剤、LSDやサイロシビンについての有効性について、当代一流であろう医学者たちに話を聞いている。いたって真面目な本だ。

それにしたって、おれはやはり、「こりゃあ幻覚剤やらなきゃ生きている意味ねえな」と思うような、そういう体験が得られるものであろうという印象ばかりが残った。

一つには、おれが相当にスピリチュアルな志向を持った人間であるということだ。おれがあらゆる間違いをいだきながら仏教に傾倒しているのはご存知だろう。おれが天体の永遠についていつも思いを巡らしているのはご存知だろう。知らないなら、この日記を一から読み直せ。

二つには、おれが抗精神病薬によってなんとか生活を送っている双極性障害躁うつ病)の患者であるということだ。手帳持ちの障害者だ。幻覚剤がおれという人間を縛り付けているデフォルト・モード・ネットワークをいったん破壊してくれるなら、そうしてほしい、そう思うのだ。

それにしても、幻覚のようなもの、この世のすべてをわかってしまう経験。それはどのようなものだろうか。

実のところ、まやかしかもしれないが、おれはそういう経験を二度している。

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……そうだよ、溶かす液体を道に垂れ流すのはスマートじゃない、ああ、なんていう合理性! 深夜に、この都市の仕掛け! 前の車がオレンジ色の回転灯を回しながら洗剤をまく! 後ろのからくり仕掛けが清掃していく! 道は維持される! 道はこれによって、ただこれだけによって維持されている! すごいものが来た! すごいものを見た! オレンジの回転灯! 俺は生まれてこの方こんなに興奮したことはなかった! 鳩の屍骸、鳩の煎餠、オレンジの光! もっと回れ! 光れ! 俺は生まれてこの方こんなに幸せだったことはない! もっと回れ、回るんだ! 俺は生まれてこの方これだけのものを理解したことは無かった!

詳しくは全文を読まれたい。おれはまだこの夜のトンネルの体験をはっきりとおぼえている。世界の仕組みすべてがわかったような気になった。いや、わかったのだ。ただ、おれはそれを覚えているということを覚えているというだけで、あのときの心境に戻れるわけではない。

もう一つは……日記を探しても見当たらない。やはり、深夜のことだった。帰宅する途中は信号待ちをしていてた。そこに、一人の女性が歩いてきた。とても地味な女性だったと思う。年齢はおれと同じくらいだろうか。少し、目があった。そのとき、おれはまったくもって、その人と魂の深いところで繋がったような気になった。おれはその人で、その人はおれだという直観があった。一言も言葉を交わさずとも、すべてがわかりあえたような気になった。そのときの衝撃は忘れがたい。おれはよっぽどその人に一言声をかけようかと思ったが、まだ働いていた社会常識と、なによりその衝撃によってなにもしなかった。その女性は歩いた。おれも歩いた。その女性はおれとは違う道へ曲がっていった。おれは自分の半身が割かれるような思いをした。はたして、一言声をかけていたら、どうなっていたのだろうか。しょうもないナンパとしてあしらわれたかもしれない。あるいは、なにかべつのことが起きただろうか……。

そう、おれにも、人並みに幻覚を見たことはある。べつになんの薬物も使っちゃいない。それでも、おれにはそういう経験がある。それは突然現れて、おれを遠い世界に押しやり、すぐにこの世に戻した。あれは、なんだったのだろうか。どちらとも深夜までの残業のあとのことだ。おれのデフォルト・モード・ネットワークになんらかの異常が起きたのかもしれない。脳の後帯状皮質になにかエラーが起きただけなのかもしれない。だが、おれはあのエラーをまた味わいたいと思う。

それに、幻覚剤は役に立つのか? 立つに決まってんだろ。おれがこの本から受け取ったイメージはそのようなものである。

 

魂の扉は、いつもほんの少し開けておかなければならない。

――エミリー・ディキンソン

また、エミリー・ディキンソンだ。本書の冒頭に引用されているのはこの言葉だった。シオラン石牟礼道子―幻覚剤。どんなつながりだというのか。おれは少し興奮した。

 

第一章 ルネッサンス

なにがどうルネッサンスなのか。それは、サイケデリックのブーム、その終焉を経て、また現代に幻覚剤研究が復興しているという話である。精神病や依存症に効く薬としてのサイケデリクス。これが暗黒時代を経て、また見直されようとしている。そういうことだ。ここではアルバート・ホフマンのLSD発見のエピソードなどが語られている。そして、現代の第一線の研究者たちとの対話。そしていくらかの幻覚剤体験の言葉。言葉にならない言葉。

五万色を描き分けなければいけないのに、五色のクレヨンしかないんだよ

 そして人は「愛こそすべて」と語り、無神論者が無神論者のままで「神の愛」を語る。あるいは、おれが知っている言葉も出てきた。

多くの科学者と比べ、いや、スピリチュアリストたちと比べても、ローランド・グリフィスは詩人のキーツシェイクスピアのことを表現した"ネガティヴ・ケイパビリティ"をたっぷり持っている。つまり、科学の絶対概念、あるいはスピリチュアリティの絶対概念、そのどちらにも手を伸ばさずに、不安定さや謎、疑念の中に留まりつづける勇気の持ち主なのだ。

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第二章 博物学――キノコに酔う

キノコのスペシャリスト、もちろん幻覚作用を持つキノコを含むスペシャリストへの取材である。そのスペシャリストは信頼すべきスペシャリストなのだが、「キノコは自然界からのメッセージをわれわれに運んでいる」というような考えの持ち主だ。

マジックマッシュルーム。人類のある文明が利用し続けてきた幻覚剤。西洋文明とその出会い、そんな歴史を振り返る。

スペシャリストのスタメッツは言う。

「植物や菌類には知性があり、われわれに環境を守ってほしがっている。だから、われわれにそうとわかる方法で働きかけているんだ」

まあ、このあたりと著者は適度な距離を取っているようなので。そして、そこで得たキノコでの軽い体験。

 

第三章 歴史 ――幻覚剤研究の第一波

1960年代の話。

ターンオン、チューンイン、ドロップアウト

ティモシー・リアリーオルダス・ハクスリー。あるいは、エンジニア。

初期の一部のコンピューター・エンジニアは、集積回路の設計をするとき、コンピューター上でそれができるようになる前はとくに、LSDに頼っていたという。「彼らは複雑な要素を三次元空間に視覚化しなければならなかった。それを全部頭の中でやっていただ。そういうとき、LSDが役に立つとわかった」

シリコンバレーのはじめにも、幻覚剤文化があったとか。まあ、このあたりは時代よな、アメリカの一つの時代よな。

 

第四章 旅行記 ――地下に潜ってみる

いよいよ、著者自身による幻覚剤体験。心臓に持病があるので、大学の臨床試験を受けたかったが……「健常者」は対象でない。となると、非合法に潜る必要がある。いろいろの取材のつてをたどって、信用できそうな地下のガイド、セラピストに頼ることになる。この章ではまず人里離れた山の中でLSDを体験する。そして、サイロシビン。

では、自分が消滅するところを眺めているこの「私」は誰なのか? 正確に言えば「私」ではない。ここで言葉の限界が問題になるのだ。私の視点がふたつに分かれたことを完全に理屈が通るように説明しようとしたら、まったく新しい一人称が必要になるだろう。なぜなら、この光景を眺めようとしているものは、いつもの自分とはまったく異なる意識モードであり、立ち位置も異なっているからだ。

そして最後に5-MeO-DMT(あるいはトード)。ソノランデザートヒキガエルの幻覚性物質。水爆実験というくらい強烈なものだったらしい。そして、いずれの体験においても自分が否定したいところの「神秘」を感じてしまうらしい。いちいちそれを引用するのも面倒なのでしない。ただ、それを読んだおれは、ただひたすらに幻覚体験に憧れを抱いたということだ。まったく。

例として、埼玉県のサイトから引用しておく。

ゲーム感覚ではすまない(19歳 男性) - 埼玉県

特にLSDを使うと、周りの景色がふつうよりも色彩豊かに見え、音楽を聴いても音符が飛び跳ねて見えるかのような気分になり、自分自身その不思議な感覚の中で「何も怖いものはない、誰とでも気軽に接することが出来る」といった気分を味わうことができ、私はその効果の虜になり、以後は大麻よりも主にLSDを使用するようになりました。

そうなのよな。われわれ善良日本人、ドラッグというとダメ、絶対というだけで、はたしてコカイン、ヘロイン、LSD大麻その他いろいろの区別がついていなかった。正直、「幻覚剤は役に立つのか」と言われても、「幻覚剤というのは?」というところだった。それでも関係なく生きていければいいのだろうが。

 

第五章 神経科学 ――幻覚剤の影響下にある脳

さて、この本、ここまでいろいろ書いておいてなんだけれども、この章から俄然おもしろくなる。この章以降がなければ、単なる幻覚剤賛美の体験談に終わっていたかもしれないとすら思う。果たして、幻覚剤の影響下にあるとき、脳の中でなにが起こっているのか。これが、現代ではfMRIなどによって測定できるのだ。あるいは、変な測定装置を頭にかぶって、リアルタイムで本人が見られるような形で。

で、そういった研究によると、脳内の秩序を保つDMN(デフォルトモード・ネットワーク)というやつにあるという。fMRIの検査を待つ間、被験者がなんにもしていないときに活発化する箇所があったので発見された。なにか外界に関することをしていると、逆に沈静化する。内省やら考え事をしているときに活発化する。そして、脳の持つ複数のシステムの指揮者のような役割でもあるという。自己や自我を構築しているといってもいい。

で、そのDMN、サイケデリック体験中の被験者の「自我の溶解」と時を同じくして活動を急低下するという。それは、瞑想者の瞑想状態でも見られることらしい。

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P.390-391

そんで、これは脳マップで、右がサイロシビンを投与したときで、左がプラシーボ。脳内の電気活動の動き、コミュニケーションがマッピングされている。幻覚剤使用時には通常の覚醒意識時には交流しない領域のリンクが多数見られる。これにより、知覚に大きな影響が出るのではないかということだ。この神経ネットワークにより自我の消失や愛こそすべて、あるいは神との出会い、地球の誕生、男性の出産体験などが生まれたりするんじゃないか、と。

さらに突っ込んでいくと、うつ病強迫性障害といった脳の状態は、DMNのしばりが強くなりすぎているんじゃあないのか、という仮説も出てくる。DisorderではなくOrderが強くなりすぎている。で、上のようにDisorderさせることによってしばりを解き放つ。

で、一時的であれよい結果が得られる。SSRIの行き詰まりが見えてきた現在、幻覚剤に希望はないのか? これは真面目なというか、公的な医学界で検証が始まっていることなのである。残念ながら双極性障害という単語は見当たらなかったが、なに、同じ脳の病気だ、ひょっとしたら効くかもしらんよ。

……って、日本では無理だろうな。医療大麻大麻についてはよく知りません)ですら忌避されている。ましてやLSDなんて、という具合だ。それに、世界的に見ても、製薬会社や医者にとってみたら、毎日毎日薬を飲んでもらって、頻繁に受診してくれたほうが儲かるから、あるていど長期的に効く可能性のある幻覚剤はうまみがないという。いやはや。せめて、末期がん患者への投与などは検討されてもいいように思うのだが。それも死の恐怖を超越した、何例かのよい結果が記されている。

 

第六章 トリップ治療 ――幻覚剤を使ったセラピー

と、セラピーの話はもう次の章だったか。まあいいや。中心が自我にあるパターンへの強すぎる依存が依存症や、うつ病、死にとらわれる末期がん患者などに見られる。幻覚剤で吹き飛ばそう。その自己を中心とした考え方、ものの見方はいくつもある幻想の一つにすぎない。そこに、違ったものの見え方を取り込んでみよう。安楽があるかもしれない。安楽の門。なぜいきなり大川周明

ただし、二重盲検は薬品の性質上できない。あるいは、西洋医学の文脈では扱いきれないものかもしれない。でも、メキシコでもどっかでも、うまいことシャーマンが使ってきたのも人間の歴史だ。セットとセッティング(Wikipediaに項目があるぜ)がしっかりしていれば、バッドトリップにも対応できる。それは、1960年代からアンダーグラウンドで培われてきた技法でもある。当然、公的な医療でも研究は進んでいる。

ただし、かつての過ち、社会の過剰な反発による規制を研究者たちは恐れている。娯楽に用いられることも警戒している。なにせ、昔、わりといい線いってた幻覚剤による依存症治療の研究とかもあったのに、タブーになっちゃったんだから。道のりは長い。

 

おわりに

この「おわりに」はおれのご意見。この本、やっぱりなんか幻覚剤でよい体験をした著者の、ノリノリの感じが強めなのは否めない。いいところばっかり書いてるんじゃねえのか、という思いはどこかにある。チェリー・ピッキング。「都合のいい研究、論文ばかり持ってきている」と誰かが指摘することもあるだろう。なんか悪いことは書いてない。そもそも、原題は「役に立つのか」とか問いかけてない。"HOW TO CHANGE YOUR MIND"だ。そんな感じの本だと思う。

でもなあ、おれは一個の精神病者として、なんかこう、この地獄から、ジプレキサ抗不安剤で生きている状況をどうにかしたいって思いがあるんだ。わかるか。わからんか。そして、おれは脳の調子も悪いし、部屋も散らかってるし、瞑想なんて高度なことはできないから、一発で身心脱落してえんだよ。あ、心身脱落は道元の言葉。つーか、本書でもいくつか仏教思想の影響が見られる。当たり前か。1960年代のことだったろうか、西洋に禅を紹介した鈴木大拙が「一度はLSDをやってみたいものだ」って言ったとか『鈴木大拙随聞記』に書いてあったっけな。

まあ、ともかく、解き放ちたいんだ。その世界を見てみたいんだ。この一個の幻想に閉じ込められて、苦しんでるのは、もうたくさんだ。わかるやつはわかるだろうし、嫌悪感を持つやつは持つだろう。そのあたりは好きにしてくれ。まあでも、おれが生きているうちに、日本で幻覚剤治療、セラピーなんてのは、夢のまた夢だろうな。せめていい夢でも見て死にたいもんだが。

 

……あ、おれはあくまで高卒文系の一精神障害者なので、なんかすごく間違ってたらごめんなさい。とくにDMNの働きはむずかしい。よくわからん。以上。