令和になってもスターバックス怖いおれ―穂村弘『人魚猛獣説 スターバックスと私』を読む

 

また穂村弘の本である。「スターバックスと私」ときたもんである。なにやら2008年にスターバックスのウェブサイトのクリスマス企画を単行本化したものらしい。スターバックスのお客さんや店員から送られてきたスターバックス短歌などを紹介している。

おれとスターバックススターバックスとおれ。

おれがスターバックスに入ったのは一度か二度である。正直、怖くて入れないのである。なにをどう注文していいのかわからないのである。おれが怖い外食チェーンは二郎、サブウェイ、スターバックスである。え、二郎はチェーンじゃない? まあいいじゃないか。

というか、女と出かけたりしたとき、ちょっとコーヒーでもってときに、スターバックスの席が空いていたためしがほとんどないのだけれど、みんな朝から並んでいるのだろうか。よくわからない。

ともかく、なにか呪文を唱えなければやたら甘いなにかが出てこない。ドッピオ? わからない。「世界音痴」の穂村弘先生がスターバックス側の人間だったとは驚きである。でも、回らない寿司屋に入っていたしたな。……いったい何歳のおっさんの話かというところである。

とはいえ、穂村弘も最初はこうだった。

 初めてスターバックスに入った日のことを思い出す。

 小銭を握って飲み物のメニューを眺めながら、私はそこに「コーヒー」も「紅茶」もみつけることができなかった。

 ここ、カフェじゃなかったのか?

 にこにこと微笑む店員を前にして、メニューが全く理解できない私のあたまのなかは真っ白だった。

 店員の口が動き、優しく何かを話しかけてくれたが、真っ白な私にはもはやひと言もその意味が理解できないのだった。

 『にょっ記』所収「スターバックスの克服」

で、応募作品にはそういう作品も少なくなかったという。

初スタバホームページで情報収集長い名前も丸ごと暗記 三つ葉(女・兵庫県

予習は大切よな。

ちなみに著者はいつもこう注文するらしい。

まず「カプチーノを熱めの豆乳で」と云います。で、わざわざサイズを訊かれるのを待ってから、「あ、小さいので」。そのとき、心のなかでは「ショートソイエクストラホットカプチーノ」と唱えています。なら、最初からそう云えばいい。その通り。でも、それができないのです。

え、熱さもエクストラホットというのがあるのか。初めて知った。すごいな。

……と、ここまで書いてきて言うのもなんだけれど、2021年になっても、令和になっても、まだ「スターバックス怖い」話をしているのは、さすがにもう、ちょっと遅すぎるというか、何をいまさらのいまさら、と言われちゃうのだろうな、という。スタバの、ある種の特別さみたいなものもたぶん薄まっていて、なんてこたねえ甘いものを飲める場所になっているのかもしれない。でも、おれの苦手な感じは生きているんだけど。でも、たぶん、もう、この本に「そうそう」と頷きながら読む人も少ないんじゃないだろうか、なんて思うわけで。もう平成も終わったのだぜ。

でも、とくに「そうそう」と思った、あまり、というかほとんどスターバックスに関係ない部分があったので、ちょっと長いけれど引用する。「ぬばたまの夜を飲み干し顔あげる」という章である。スターバックスでお洒落に勉強しているような平成の学生さんたちにも悩みはあるんでしょうか、あるんでしょうね、という話である。

 

 大人の世界には存在しないような、ささやかで透明で、でも致命的な痛みや苦しみがそこにはあると思う。

 私は今でも高校時代の夢を見ることがあります。

 それはテストの夢なんかよりもずっとおそろしい。

 こんな悪夢です。

 修学旅行の班をつくることになった。

 「好きなもの同士、組んでよし」

 担任のセヌマンが云った。

 教室中に、わーっ、という歓声が広がる。

 セヌマンがにやっと笑った。

 いいことをしたつもりなのだ。

 馬鹿野郎、と私は心のなかで思う。

 わーっ、と喜んだ生徒たちの陰に、「好きなもの同士」の言葉で目の前が真っ暗になった者たちがいるのがわからないのか。

 彼らは声を出すことができない。

 ただ無言で絶望している。

 ブーイングなんてできない。

「好きなもの同士」の恐怖。これである。その絶望である。これがわかる人間とわからない人間、どちらが多いのだろうか。よくわからない。おれはといえば言うまでもなく誰とも組むことができず、残り物は手をあげろと言われて「誰にも相手にされない軍団」になってしまう側の人間である。

というか、おれが大学を中退してひきこもったのも、「二人一組で課題を……」という講師の言葉がトリガーだった。大学にまできて、そうなのか。この絶望がつづくのか。そう思ったからだった。おれはその教室に一人も顔見知りの人間がいなかった。他人とどうやったら知り合いになれるのか、まるでわからないまま大学生になっていた。

「好きなもの同士」は人間の進路を左右させるくらいの破壊力がある。それがわかる人間、わからない人間。その差はどこでつくのか。おれにはわからない。

つーか、なんで穂村弘はこんな「誰にも相手にされない軍団」のトラウマをえぐるようなことを、スターバックスの本にぶっこんできたのだろう。

というわけで、令和になってもスタバも「好きなもの同士」の呪いも引きずっているおっさんのおれの話でした。え、そういう話だっけ。まあいいや。そんじゃ。