穂村弘 『世界音痴』を読む

 

また穂村弘の話をしてる……。

というくらい穂村弘の本を読んでいるが、とりあえずこれで一休みだろうか。

しかし、暗い回転寿司の写真だ。とはいえ、おれが借りたのは文庫ではなくソフトカバー版であって、もっとギトギトにフィルターがかかっていて、寿司は高速回転している。

それはどうでもいい。それにしても、いいタイトルだ、『世界音痴』。「ああ、そうだ、おれも世界音痴なんだ」と思った。単なる音痴でもあるけれど。あ、カラオケ行っても軍歌しか歌いません。昭和のじじいだぜ。

少し気になったところをメモする。

本のタイトルになっている「世界音痴」というエッセイはこのように始まる。

 飲み会が苦手である。

右隣の人と話していいのか、左隣の人と話していいかわからない。トイレに立った人の席にべつの人が「自然」に座ったりしている。寿司屋のカウンターも苦手だ。板前さんの動きをじっと見て注文をするも、ほとんど同時に酔っ払った人が叫んだ声にかき消されて、自分のは忘れられる。

 飲み会のとき、離れた席から、ほむらくーん、と呼ばれると、涙が出るほどうれしい。呼ばれた理由が何であってもうれしい。いそいそとそこまで行ったところで「眼鏡外してみせて。ほらほら、このひと眼鏡外すと面白いんだよ」と云われてもうれしい。この世界に、一瞬、触れたことがうれしいのである。

 

 黄昏のレモン明るくころがりてわれを容れざる世界をおもふ 井辻朱美

そうだ、音痴だからといって歌うのが嫌いとはかぎらない。それにしても、「涙が出るほどうれしい」とは、読んでいて涙が出そうになるじゃないか。おれもそうだ、という人も少なくないだろう。下手したら過半数はそういう人なんじゃないかとすら思う。そんなことはないか。

続いて、「再び、世界音痴」。ここでは、外の世界ばかりでない友人が自室を訪れ、「空気が悪いな、窓、開けるよ」といわれて窓開けられて、著者の顔はひきつる。十五年住んでいた部屋のその窓が開くのをはじめて見たのだ。開こうと思ったことがなかったのだ。

 なぜ一度もそう思わなかったのか、と訊かれても答えることができない。それに答えられるくらいなら、この文章は書かれていない。億劫だったのとも違う。思いつかなかったのとも微妙に違う。強いて云うなら、私は窓から「隔てられて」いたのだ。窓が開いたその光景は「おまえは人間外のものだ」という宣告のように見えた。

ここまでくると、少しついていけない。そんな気もしてくる。が、おれはたまたま「窓」を開けられていないだけで、隔たれていること自体に気づいていないのかもしれない。あるいは、チラッと目に入っているのを意識しながらも、自分には関係ないと、半ば自動的にシャットアウトしているものや、ことが。

著者はそのような自分を「自然さ」がを奪われた人間だとも表現する。はたしておれにはそれがわかるのか、わからないのか、わからない。ただ、穂村弘の書くことはおおよそ納得があるというか、「そうなんだよな」と思うことは多い。大雑把に世界人類を二分割したら、たぶん同じ側に入ることだろう。

 いたみもて世界の外に佇つわれを紅き逆睫毛の曼珠沙華 塚本邦雄

さて、ほかにも気になったところを。

「一億年後の誕生日」というエッセイでは斎藤茂吉の短歌が引用されていた。

 ところで、私はふだん短歌を主に書いているのだが、歌人という人種は、伝統的に命の重みというものにこだわる傾向がある。

 

 味噌汁は尊かりけりうつせみのこの世の限り飲まむとおもへば 斎藤茂吉

 

 「尊かりけり」とか「この世の限り飲まむ」とか、この歌を読むと作者は異様なまでの「味噌汁」好きに思える。だが、彼が本当に執着して有り難がっているのは、じつは「味噌汁」そのものではなく、それをおいしく飲むことのできる自らの命なのである。

なるほど。なにも知らないで短歌だけ読んだら、「斎藤茂吉は味噌汁大好きおじさん」とインプットされるだけだったろう。というか、こういう解説は『ぼくの短歌ノート』でたくさん読んだ。

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短歌とは身も蓋もない即興的なものから、味噌汁の向こうに己の命を見るものまでさまざまだ。そうか、命のかけがえのなさを歌うから「歌人は概して長生き」なのか。

と、ここで思い出したが、おれは唐突に島木赤彦のことを書いたことがある。

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ほとんど短歌の引用もない。これはなんだったか。たぶん、仕事のために読んだ本が存外面白くて、書き残しておこうと思ったのだ。島木赤彦、伊藤左千夫斎藤茂吉……。そうか、短歌だったのか。

「全席自由」では、まず首肯せざるをえないことが書いてある。

 指定席が好きである。電車の切符や劇場のチケットに「2号車14D」「S席F列21番」などと書いてあると、とても嬉しい。ここに行けば一人分の場所が確かにあって、私を待ってくれてるんだ、と思って安心するのである。その切符をお守りにしてずっと持っていたいくらいだ。それに対して「全席自由」のチケットは、非常に荒々しくおそろしいものに感じられる。手にとると、びゅうううっと強い風の音が聞こえるようだ。

まったくそのとおりだ。映画館のネット予約がどれだけすばらしいものか。ネット予約がなければ、おれは映画館に今の半分も行っていなかったことだろう。これもまた「自由を奪われた」者ゆえだろうか。とはいえ、おれは新幹線の指定席券を持っていても、列車を間違えていないか、この列に並んでいればいいのか、ものすごい不安に襲われる。映画の予約画面を携帯端末で何回も確認しないと落ち着かない。日付、ヨシ、時間、ヨシ……。弱すぎる、なにか、生き物として。あとおれは、新幹線の切符を自分で買ったことはない。もちろん飛行機の乗り方も知らない。

 自分が女だったら、自由席が苦手な男などいやだと思う。指定券の番号をみて安心している男など願い下げだ。

だよな。え、男らしさなんて考え方が古い? でも、たぶんこれは現実なのよね。たぶん、男女限らず、だろう。

思うに、おれが誕生否定系の反出生主義者であるのは、世界に「ここに行けば一人分の場所が確かにあって、私を待ってくれてるんだ」という安心がないところを悲観してのことだと思う。わけもわからず勝手に生み出されてみたら、不安だらけの自由席を奪い合えという。この世に新たに生まれる人一人一生生きる指定席がまんべんなく用意されたら、おれは反出生主義を引っ込めてもいい。

人生の経験値」は『現実入門』という本のもとになったとされる一編だ。

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この「人生の経験値」では「自分は、人間の一生において普通に人が経験することの多くを未経験のまま年をとっているのではないか」として、次のようなリストを並べている。

独り暮らし ×
結婚 ×
離婚 ×
子供をもつ ×
親の死 ×
家を買う ×
就職 ○
転職 ×
料理 ×
洗濯 ×
骨折 ×
手術 ×
海外旅行 ×
ソープランド ×
献血 ×
選挙の投票 ×
ボタン付け ×
犬、猫を飼う ×
髪型を変える ×
お年玉をあげる ×

これが、「来月、私は三十九歳になる」という穂村弘のリストである。もちろん、自分でも答えてみたくなるよな。 

独り暮らし ○……一家離散して以来二十年狭いアパートに独居している。人と暮らすということはもう考えられない。
結婚 ×……できるだけの人間の器も手取りもない。
離婚 ×
子供をもつ ×
親の死 ×……こないだ父親が心筋梗塞で死にかけて、100円ローソンで黒ネクタイと靴下を買ったが、残念なことにまだ生きている。
家を買う ×
就職 ○……知らないうちに正社員になっていたので、おれは自分が何年サラリーマンをしているのかよく知らない。昇給したこともボーナスをもらったこともない。
転職 ×……恐ろしいほどの低スペックなので今の会社以外で働ける気がしない。精神障害者ですぐ寝込むし、力仕事ができるだけの腕力もない。
料理 ○……自分がしていることが料理と呼べるならば。いや、圧力鍋だって使ったことあるぞ。
洗濯 ○……おれの独り暮らしはユニットバスで100円の洗濯板にシャツやパンツをゴシゴシこすりつけるところからはじまったのだ。
骨折 ×
手術 ○……小学生のころ、扁桃腺の手術をした。全身麻酔が効いて、自分を取り囲む医師や看護師が遠のいていく幻覚はいまもよく覚えている。
海外旅行 ×……この日記を読み返しても、旅行自体ほとんどしていないのがわかるはずだ。
ソープランド ×……ソープどころか、女の人が接客してくれるお酒を飲む店にすら入ったことがない。
献血 ×……注射が異常に怖い。
選挙の投票 ○……ほとんど欠かしたことがない。無料の勝ち馬投票券だ。
ボタン付け ○……何度も糸を通して異様に頑丈にするが、正しい終わり方がよくわかっていないので、だんだんゆるくなる。
犬、猫を飼う △……実家には二頭の猫がいた。ただ、家の主人であったわけでもないし、家族の一員だから、というわけでもないが、「自分が飼っていた」とは言い切れない感じがするので△。犬とは縁がない。
髪型を変える ○……おれは美容院というところが怖くて入ったことがない。できるだけたくさん席のある理容店で「三センチ」とかだけ言って生きてきた。が、二年くらい前にツーブロックに目覚める。「全体にツーブロックで短いところは二ミリ、ほかは三センチ」。
お年玉をあげる ×……年の少し離れたいとこにあげるくらいのころ、おれはひきこもりのニートだった。なのでそのタイミングを逃した。ここ何年かでいとこに子供を持つものが出てきたが、今度は祖父母の死去によって縁遠くなっていとこの子供に会わずにいる。

……と、すきあらば自分語りとでもいうのか、長くなった。

ちなみに著者は「一昨年までしゃぶしゃぶを食べたことがなかった」と書く。食べ方がわからなくて怖かったからだ。だが、一度食べるととてもおいしく、なんども食べるようになった。

一旦平気だとわかると、急にそうなるのである。海外旅行や結婚も、一度経験したら、何度もするようになるのかも知れない。

おれはこの本の前にべつのエッセイを読んだのでその先を知っているのだが、結婚はしているし、海外旅行だって、わざとよれよれのパンツを履いていって、旅先で捨てて荷物を減らすなんてテクニックを披露していたくらいだ。うーん、先生、人生の経験値つんでるなあ。

おれも上のリストに○が増えることがあるのだろうか。◎「親の死」=○「骨折」の馬連一点買いか。もちろん、親が死ぬよりおれが先に死ぬ理由は百個だってあるだろう。いずれにせよ、いまだかつて「自分の死」に○を付けた人間はいない。

 

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