池澤夏樹『夏の朝の成層圏』を読む

 

おれは今年になって池澤夏樹作品を読み始めた。たしか、たぶん。そして、『夏の朝の成層圏』はとても読みたい作品だった。

なぜか?

タイトルがかっこいいからだ。

タイトルがかっこよくて悪いことはない。たぶんすごくいい作品なのだろうと思った。

話は漂流の話である。海に投げ出された主人公が、無人島に流れ着き、なんとか生きていく。

……まったく知らなかった類のことを必死で学ぶ生活、他人と無縁に自分を生かしてゆく苦労と興奮に彩られた生活に、彼は一種の満足を感じていた。目の前にさしせまった問題につぎつぎに解決をみつけてゆくことも快感だった。動物に幸福感があるとすれば、彼の満足は動物のそれに近いものだった。

こういう生活。生活というのか、生そのものというのかわからない。主人公はどんなやつなのか。あまりわからない。そして……。

 ここの生活はおもしろかったし、ぼくは今もこの島に愛着を感じている。ここで暮らすのは、まるで地上を離れて高い空の上で、成層圏で暮らすようなものだった。暑い、さわやかな、成層圏だ。しかし、いいことばかりではない。一人で暮らすことを試みるうちに、ぼくの精神そのものが、ある意味で孤島化していった。

そして、他人と出会う。出会う中で、この無人島もまた、人類文明都市のさかしまであるようにも感じる。単なる文明忌避ではないし、文明批判でもない。自然志向でもないし、自然讃歌でもない。そのあたりがクールだ。とてもクール。

とはいえ、この海や南方への志向というものは、おれが読んだ池澤夏樹のその後の作品とも通じるものがあり、精霊もまだ生きていたのだな、と思う。著者の長編デビュー作の本作に、そういったものが詰め込まれている。自然科学的な視線も十分に盛り込まれている。どれだけ、この本に描かれている自然というものが本当かどうかわからない。創作としてもぜんぜんわからない。調べる気は起こらない。

いくらか、なんというか、こなれていないというか、「そうしちゃうのか」とか、「こういう作為なのか」というところもあるのだが、おおむね楽しんで読んだ。『夏の朝の成層圏』というタイトルに大きく内容が劣るということはなかった。

というわけで、せっかくの夏なのだし、外には出られないのだし、外に放り出されてしまった主人公とともに、『夏の朝の成層圏』を感じてみてもいいんじゃないか。

以上。

 

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