精神障害者が感情移入してしまった、映画『草の響き』

 

工藤和雄(東出昌大)は、徐々に精神のバランスを崩し、妻の工藤純子奈緒)と共に故郷の函館に帰ってきたばかりだった。精神科で医師の宇野(室井滋)と面談した和雄は、自律神経失調症だと診断され、運動療法として毎日ランニングをするように指示される。札幌から函館へ引っ越してきた小泉彰(Kaya)は、同級生から、夏になったらダイビングしてみないかと誘われる。誘いを了承したものの実はカナヅチの彰は、市民プールへ練習しにでかけ、そこで見事な泳ぎをする高田弘斗(林裕太)と出会う。弘斗の姉、恵美(三根有葵)も加わり、3人は人工島「緑の島」の広場で遊ぶようになる。広場で花火をする彰たち。その周囲を走る和雄に気づき、彰と弘斗は追いかけるように走り出す。この日を境に、3人は時々一緒に走るようになる...。

おれは佐藤泰志原作映画『海炭市叙景』に打ちのめされて、佐藤泰志作品を読むようになった。なぜかわからないが続々映画化される佐藤泰志原作映画もチェックしてきた。

して、この『草の響き』は『海炭市叙景』の次によい佐藤泰志原作映画ではないかと思った。

おれは精神障害者である。精神疾患者である。おれはあまりフィクションなどに対する「感情移入」という言葉の意味がわからないが、本作においては主人公である東出昌大の側に立つということになる。これが感情移入というものかどうかはわからない。しかし、どうしても精神を病んだものの側に立って見てしまう。

むろん、そうでない人にとっては、この主人公のやることなすことが理解の外にあって、場合によっては不快に思うだろう。感情移入の逆が起きる。たぶん、そうだろう。精神を病んだもの、動けなくなったもの、なにながなんだかわからなくなったもの。そういうものに対して、周りの人間というものは、ある程度の理解を示すが、ある限度を超えたら、もうおしまいだ。

それはもう当たり前のことであって、通常の健常者が耐えられる限度というものがある。その限度というものも、あるいはささいなことかもしれない。ささいな行き違い。それでも、人は行き違う。

そのささいなところを、この映画は描いている。ささいかどうかは、ちょっとわからんが、そう思う。なんらかの機微を描いていて、あまりあからさまではない。そこのところが、映画というものの持つ機微という感じがして、おれは好もしく思う。

この話は明るい話ではない。決してそうではない。たとえば双極性障害を描いた『世界にひとつのプレイブック』ではない。それでも、函館の街があり、スケートボードで走る景色があり、海があり、草があり、人間が生きている。悪くない。ぜひ見てくれ。

 

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