おまえは太陽の塔よりすごいものを見たことがあるのかというのだ

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寄稿した。太陽の塔についてだ。なんでいま太陽の塔か。しらん。いや、Amazonでドキュメンタリーを見たからだ。

 

 

それをすすめてきた人もいる。おれが人に太陽の塔をすすめたりもした。なぜかおれのなかで太陽の塔となった。

 

太陽の塔はすばらしい。それは上の記事に書いた。太陽の塔を見たときのことについては、以下に寄稿した。

goldhead.hatenablog.com

 

……というわけで、おれはおれが見たなかで一番すごいものは太陽の塔なんだ。おまえはどうだ。おまえは太陽の塔を見たことがあるか? 太陽の塔を見たことがあって、それよりもなおすごいものを見たことがあるか? 見たならこっそり上の記事のブックマークにでも書き残してくれ。三十日後くらいに見るかもしれない。見ないかもしれない。

 

少なくとも、少なくともおれには、太陽の塔よりベラボーなものを見たことがない。おれは日本という国から出たことはないけれど、まあ、そこそこは来日したいろいろな芸術作品を見たりしている。「これは!」と思うものはあった(ジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』とか)。でも、太陽の塔は圧倒的だった。え、『オフィーリア』? 実物見てみろよ。飛ぶぞ。宮島達男のカウンターとかもすげえと思ったよ。おれのいちばん好きな画家はエドワード・ホッパーだ。

 

でもな、太陽の塔は別格なんだ。でけえんだ。でけえだけなら鎌倉の大仏の方がでけえかもしれねえけど、そうじゃないんだ。人のいない東寺というのもすごい体験だったが、それよりもすげえんだ。ああ、あれはすごいな。どーんと立ってる。もう、対象は宇宙だとしか思えない。あんなのがあるか? 地球上にあるか? 近所の人は見慣れているかもしれないが、あれはとんでもねえぞ。

 

 

この本には、「芸術の価値転換」という一節がある。そこにはこうある。

 

今日の芸術は、
うまくあってはいけない。
きれいであってはいけない。
ここちよくあってはならない。

 

どうだろうか、太陽の塔はこのすべてを備えている(備えていない)。どこか不格好だし、美しいとはいえないし、見ていて心地よいものでもない。なにか圧倒的で、やばい。そのやばさは、大勢の人に伝わったのだし、やばいから残そうということになった。やばいから残しておこうということになった。そのくらいやばい。

 

岡本太郎もとうぜんやばい。ジョルジュ・バタイユの秘密結社みたいなものに入りながら、やっぱり違うなってなったあたりがやばい。ゴッホの話もピカソの話もやばい。いろいろやばい。「芸術は爆発だ!」としか知らない人は、ぜひ著書を読んでほしい。やばいから。

 

「なんで、こいつはこんなにやばいといっているのだろうか?」と思う人もいるだろう。でも、実物を見てほしい。できれば、晴れた日がいいだろう。でも、雨の日でもいいかもしれない。遠くから、近くから、裏から見たらいいだろう。そのあと、民博に行けばいいだろう。

 

ああ、もう、大阪行きてえな。太陽の塔見てえな。おれにはエネルギーが足りない。生きる力が足りない。このまましおれて死んでしまうような気がする。だが、太陽の塔を見たらどうだろうか。たぶん、おれにエネルギーが充満することもないし、力を得ることもない。ただ、太陽の塔が立っていてくれる、そのことに満足する。それを確認したい。それだけだ。ああ、太陽の塔