花粉症茶番

 

「なんか今日、涙が流れてくるんすよ。あと、鼻水」

「お、いよいよ仲間入りだねー」

「違うっすよ。アレではないです」

 

……というような、花粉症になる人間を歓迎する花粉症の人間と、自分が花粉症であることを否定する花粉症かどうかわからない人間のやりとりというのは、わりと世間で行われているのではないだろうか。

花粉症の人間は、ゾンビのように仲間が増えることを喜ぶ(ゾンビは喜んでやっているのかどうかわからないけれど)。

花粉症かもしれない人間は、かたくなにそれを否定する。

もう、いいじゃないか。こんなやりとり、もう不毛だ、茶番だ。花粉症かもしれないやつは医者に行って調べろ。花粉症のやつは仲間が増えることをなぜか喜ぶな。

……とか言いたいところだが、自分自身「花粉症かもしれないやつ」として何年も過ごしていて、毎年同じようなやりとりをしているので、まあべつにどうでもいいか、こんくらい。

とはいえ、重症の人にとっては「なにくだらないことを言ってるんだ」ということになるだろう。

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「閣僚は国民へのアピールで外すだろうが、私は花粉症なのでちょっときつい。今年はかなりかゆくて、目をえぐり出したいくらいだ。たまらん」

「目をえぐり出したい」くらいの苦しみなのである。「たまらん」のである。こんな人の前で「花粉症かもしれないっすー、いや、毎年言ってるし、違うと思うんですけどねー、ハハハー」とか言おうものなら、歓迎されるどころか「おまえも地獄に来い!」と道連れとばかり杉林に連れ込まれるかもしれない。おそろしい、おそろしい。

というわけで、やっぱり「花粉症かもしれないやつ」は軽々しく「いやー、花粉症かもしれないっす」アピールはしないほうがいいかもしれない。だいたい、そんなやりとりも「花粉症による労働効率性の低下」とかにつながっているのかもしらん。しらんけど。