カープの背番号20〜北別府学を偲んで

北別府の訃報を知ったのは、病院の待合室だった。会社近くの整形外科で、対コロナウイルスワクチンを打ったあとの待機時間中だった。病院の待合室で携帯端末を見るのはいいことか悪いことかいまいちわかっていないが、その病院ではみながみな携帯を見ていたので、おれもそうした。そこで、知ったのだ。

 

北別府は、子供のころのおれのヒーローだった。カープの、じゃなく、野球の大エースだった。関東で、まわりにカープファンなんてまったくいないなかで、「カープには北別府がいるんだぞ」という気持ちでいた。山本浩二衣笠祥雄ももちろんいたけれど。大野豊だって特別な投手だ。でも、北別府は別格だった。大きな誇りのようなものだった。

 

人柄というと、現役時代はかなり「孤高のエース」だったそうだ。追悼記事やなにか、そんな話が色々出てくる。金石が安仁屋宗八に聞いたところによると、ピンチになってマウンドに行って交代するかとなったとき、「次に投げるのは誰ですか?」、「だったら自分が投げます」とか言ったそうだ。そんな投手、今は存在しないに違いない。

 

カープ背番号20の系譜。おれにとっては北別府で始まる。なぜ永久欠番ではないのか。でも、永久欠番になるより、その番号を引き継いでくれる選手がいる、というのも悪くない。

 

北別府引退から8年の空白。そして永川勝浩が背番号20を引き継いだ。先発モンスターだった北別府と違い、永川は抑えのエースになった。

 

そして、その背番号20を現在背負っているのは、永川と同じく抑えのエース・栗林良吏。

 

北別府さんと悲しみの初対面 背番号20の後輩広島・栗林「野球を教えて欲しかった。話がしたかった」― スポニチ Sponichi Annex 野球

 

栗林が生まれたのは北別府が引退してから二年後のことである。とはいえ、野球をするものとして北別府の名前くらいは知っていたろうし、カープに入団が決まり、この背番号を背負うことになって、身近に感じることもあったろう。評論家としての北別府の言葉を目にしたこともあるだろう。

 

いずれにせよ、今の背番号20は栗林だ。先ほど、「抑えのエース」と書いたが、正直なところ、今現在そう書くのは正しくないかもしれない。WBCで故障。シーズンには間に合ったが、安定感を欠き、故障もありファームへ。復帰後も本来のピッチングが見られず、現在カープの9回を任されているのは矢崎だ。

 

矢崎もすばらしいピッチャーだ。あれだけふてぶてしい投手というのも珍しい。抑えたら抑えたで「学歴でねじ伏せた」などと言われるのもおもしろい(慶応高→慶応大)。が、やはりおれは栗林の復活を望む。なぜなら、背番号20だからだ。永久欠番級の背番号を背負っているのだ。北別府の20を背負っているのだ。一年目と二年目に見せてくれた、あの圧倒的な支配力を取り戻してくれるに違いない。北別府さんの亡くなったあと、こないだの試合は見せてくれた。きっとまた守護神になる。そう信じている。

 

そして、北別府さん、カープの後輩たちは今、けっこうのびのびと楽しく戦っている。今シーズンは新監督である新井貴浩のもと、本来の抑えのエースと四番打者の構想が崩れつつ、なおベテランと若手が支え合って戦っている。偏りの激しかった打線の打率もだんだん見られる数字が増えてきた。大瀬良大地にはエースの系譜としてピリッとしてほしいが、九里亜蓮も床田寛樹もがんばっている。投手では島内のストレートがすごいことになっている。チームはいい方向に向かっている。その点は、安心して見守ってほしい。