
人生で大切なことはショージ君が教えてくれた。
なにをそんなおおげさな、という人もいるだろう。けれど、おれにとっては事実なのだから仕方ない。
訃報を聞いてこんなことを書いているわけではない。
人間の思考のエンジンは、OSは何かといえば、言葉にほかならないだろう。少なくとも俺はそう思う。「初めに言葉ありき」だ。そして、「我思う、故に我あり」なのだ。少なくとも俺は。そして、その「言葉」について自分に一番の影響を与えたのは誰か。一番と言ってしまうと、両親ということになろう。しかし、それに匹敵するくらい影響を与えたのは、東海林さだおであった。
東海林さだおを与えられたのは、漢字交じりの文章が読めるようになってすぐだ。父が「文章とはこのように書かれるべきものなのだ」と俺に与えたのだ。読み聞かせられる絵本や童話を脱し、自ら読みはじめた最初の文章が東海林さだおのコラムだった。それが、俺の言葉の根幹に食い込んだのは当然の話だろう。そしてそれは、かなり適切なチョイスだったと言うしかない。それ以後俺は、少なくとも学校の国語や作文に困ることは一切なかったし、入試も小論文一本で仕留めたという手応えがあった。もっともそれは、幼い頃に「東海林さだお」教の洗礼を受けてしまった俺が言うことなのだからあてにはならない。それに、そもそも東海林さだおは実用書なんかじゃない。
幼いおれに東海林さだおのコラムを与えたのは、父だった。父は『宝島』という雑誌の編集長などをしていた。自分も記者をやっていたので、文章の書き方を知っていた。でも、直接教わったことは少ない。「ワンセンテンスに一つの意味」、「漢字は開けるだけ開け」、くらいだろうか。それだけでもかなりの意味があったと思うが、しかし、実践となると自分の書いたものではなく、東海林さだおのコラムであった。
その最初の一冊が『ショージ君のコラムで一杯』だった。ふつう、幼稚園の終わりから小学校のはじめの子供に「コラムで一杯」という本を読ませるだろうか。けど、おれは読んだんだ。読まされた、のではない。読んだんだ。そこでおれは、「漫画でなく、文字だけの文章がおもしろくてもよい」ということを知った。それは大きなことだった。「おもしろい文章があってもよい」。おれは東海林さだおやいしいひさいちの漫画に早くからなじんでいたし、おれのなかでいしいひさいちも神格化されているが、文章についてはもっぱら東海林さだおということになる。
そして、その『ショージ君のコラムで一杯』が、おれのダークスター(散らかった部屋)の中から奇跡的に発見された。さっき発見された。なので、これを開きながら、おれが東海林さだおから学んだことを振り返りたい。
この一冊は「ぼくの読書歴」という一編から始まる。
ぼくがいままでに読んだ本の量は、自分でも驚くほど少ない。
恥ずかしいほど少ない。
よくまあこんな程度で、文章なんか書いて生計を立てていけるなあ、と思うほどである。
商店街の裏の方の小さな魚屋なんかが、ほんの少々の魚を並べてそれで結構なんとか商売になっているという、あんな感じである。
だが読書量が少ないための効能というものはある。
たとえば今回のような、、読書歴について書けという注文があったときは俄然効果を発揮する。
読んだ本を迷うことなく片はしからあげていけばいいから実に楽だ。
たくさん読んでいる人はこうはいかない。
(56・1)
おれの「おもしろい文章」というか、「文章の基本」の始まりはこれだった。……のか、よく覚えていない。でも、順番的にはそうなる。そして東海林さだおは、小学生のときにたった一冊だけ読んだ有島武郎の「一房の葡萄」について書く。ただ、ウルトラマリンとかセルリアンブルーとかの言葉に「おらァ、ぶったまげただ」と思ったらしい。東海林さだおは山の中に棲息していた。
その後、中学はなにも読まず、高校では吉川英治『宮本武蔵』のみを読んだ。だが、大学に入って太宰治にはまって全集をあっという間に読了したという。ほかに並んでいるのは、ヘミングウェイ、木山捷平、北杜夫、深沢七郎、團伊玖磨、伊丹十三、畑正憲、ジェームズ・サーバー、ジェローム・K・ジェローム、野坂昭如、中島敦、中原中也、と、名前が並んでいる。これらはおれの文章の祖父ということになるだろうが、知らない名前もある。いずれあたってみようか。
次は「私の文章修業」というコラムだ。あ、この本一冊行く勢いですので。
ぼくが注文を受ける文章は、いわゆる雑文と称されるたぐいのものであって、修業を必要とするようなものではない。
いや、最近は雑文の評価も高まってきているので、雑文と称するのもなんだか気がひける。もう一ランク下の駄文あたりが適当のように思う。
天丼にランクがあるように、文章にもランクがある。
天丼の場合は、上、中、並、あるいは、松、竹、梅、というふうに分かれている。文章を天丼ふうに分類すると、純文(学)、雑文、駄文、という順序になると思う。
本業は漫画家なので、文章はお肉屋さんのコロッケコーナーだという。学校は一応文学部だが、文章の勉強をしたわけではないという。東海林さだおは早稲田大学の露文中退である。そこで東海林さだおはなにをしていたのか。「ただ呆然としていただけなのである」。
本当は、「史上初の東大出の漫画家!」になろうとした。が、「この青年は東大を受けることさえしなかった」。それで、「早稲田と慶応のあれこれとりまぜて八学部ほど受験した」。そして、「結局、早稲田の露文だけが、しぶしぶ入学を認めてくれたのである」という。
うーん、今読み返すと、おれも似たような受験歴だった。おれは算数ができないのでもとから東大というのはありえなかったが、早稲田に行くつもりで、早稲田と慶応のあれこれとりまぜて八学部くらい受験して、慶応の文学部だけがしぶしぶ入学を認めてくれたのである。おれは慶応の文学部の美学美術史学専攻中退だ。
ショージ君も漫画家志望として、最初は「美術史」の列に並んでいたという。しかし、ふと隣の露文の行列を見て「美術史より露文のほうが、なんとなく重々しい感じがするのではなかろうか」と思って、そちらに乗り換えたという。

それから苦難の大学生活が始まった。
露文では、ロシア語だけが印刷された教科書をどっさりと買わされて呆然となった。
これがそもそもの呆然のはじまりである。
くる日もくる日もロシア語の授業であった。ぼくはそのときまで、うかつにもロシア文学とロシア語が密接な関係にあるということに気づかないでいたのである。
最初のページからおしまいのページまで全部ロシア語の教科書を眺めては呆然としていた。くる日もくる日も呆然としていた。
呆然としたまま五年間を過ごし、そのまま学校にいかなくなった。
(53・5)
おれも美学というものが大の苦手にしている西洋哲学と密接に関連していることと、あまり関係ないけど第二外国語のフランス語の活用がわからず、学校にいかなくなった。おれの大学生活は小学校低学年のころには予言されていたのかもしれない。
「女性接近術」では、ショージ君お得意のモテの話になる。このころ「非モテ」という言葉はなかった。
ぼくは、男が嫌いである。
男が好き、というのもヘンな話だが、そういうたぐいの好き嫌いではなく、とにかく男はイヤなのである。
男は油断がならないし、どうもうさん臭い。そばにいるだけで、なんとなくいらだたしくなる。気が疲れる。顔を見るのもイヤだ。
できることなら、男とのつき合い一切なしで、人生を過ごしていきたいと考えているのである。
(47・3)
これも、よくわかる。おれは「女子が苦手」という理由で中高男子校に行ったところはあるが、実のところ、男が苦手だ。「女子が苦手」というより、背が低くて女子のモテの対象にならない自分が苦手、というところある。そして、なにやらおれはどうも女性からチヤホヤされることが多くここまで生きてきたところはある。独身男性について深い考察力を持ちつつ、実のところ妻帯者であったショージ君がどのくらい女性にチヤホヤされていたかはわからない。「やる」の「やんない」のの対象としての女性をすっかりあきらめた男、といっているが、実のところはけっこうモテていたんじゃないかとも思う。
「十代よ大志を抱け」はいい話だなあと思った。これを幼いころに読めたのは、自分の人生にとって大きいことだろうと思う。少し長いが引用する。
その昔、クラークおじさんは言った。
「少年よ、大志を抱け」と。
これは、これから大人になってゆく青少年を励ますための言葉である。
ところが、この言葉のために、いかに多くの青少年の心が傷ついてきたか、クラークおじさんは知らないであろう。
励ますつもりの言葉が、逆に多くの青少年を絶望の淵においやったのである。
少年よ、大志を抱け。
青少年は、すべからく大志を抱かなければならない。
大志を抱けないような奴は、ロクなものにならんぞ、クラークおじさんは、暗々裏にこう脅迫していたのである。
小志はいかん、とこう言っていたのである。
ささやかな人生でいい、市井の片隅の人生で十分、どう考えてもこういう結論しか出てこない青少年は、ここのところで早くもいじけてしまうのである。
「おれのはどうせ小志だ」
だが、もともと志には、大も小もありはしないのだ。
大切なのは志そのものなのである。
大きい志だの、小さい志だのと、そういう区別をすることがすでに間違っているのだ。
ビヤホールのジョッキじゃあるまいし、大と小とを区別して、「大のほうにしなさいね」などと、クラークおじさんは余計なことを言ったものである。
そして、たいていの偉人たちは少年時代に大志を抱き、達成させてきたという。そして、こんなことをショージ君は言う。
人間の歴史は、小志の連中が大志の連中に舵取りをまかせてやってきたわけである。
その結果が、今日のこの地球の姿である。
人類は、あと数十年しか生きられないであろうという悲惨な情況になってしまっているのである。
大志の果ての連中にまかせたばっかりに、とんでもないことになってしまったのである。
クラークおじさんに代わって、今度はぼくが断固として言う。
「少年よ、大志を抱くな」と。
(49・1)
これにはいろいろ異論もあるかもいしれない。でも、多くのひとの人生なんて、小志も果たせずに終わっていくじゃないですか。おれは子供のころこれを読んで、ショージ君のサラリーマン漫画を読んで、市井の片隅で十分の人生を歩みたいと思ったのだな。
結局、それができているかどうかはあやしい。プチブルだった実家は文字通り失われ、一家離散。その後もまともに履歴書を書くこともなく、サラリーマンだかなんだかわからないものをやって、気づいたら人生も半ばを過ぎてしまった。
それでも、おれはこの社会のどこかにショージ君のような偉大な小市民がいて、一人で酒場に行くことに悩み、かけうどんを注文することに大冒険を見出し、カレーとごはんんを食べるバランスに反省と悔恨を抱き、他人のボーナスをウラヤマジ―と思う。そこにおれは安心を覚えて生きてきた。
正直、東海林さだおの本を読みつづけてきたとは言わない。でも、もうおれには東海林さだおがインストールされていたし、東海林さだおは今日もどこかで漫画やコラムを書いている。そういう安心感があった。
しかし、東海林さだおはもういない。では、だれが日常の「駄文」を書くのか? おれも書かなければいけないだろう、という気になる。ずいぶん大きく出たものだな、と言われそうだ。でも、いまはインターネットでだれでも文章を公開できる。おれは二十年以上ブログを書いてきた。東海林さだおを幼いころに読まなければ、文章を書くことのおもしろさを知ることもなかっただろう。恩返しなどというたいしたものではない。でも、おれも書きたい。できればだれかをたのしませたい。それがおれの小志ということにしておいてくれ。
(101・4)
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