『偶然の音楽』ポール・オースター

 ポッツィはコーヒーカップを車の屋根に置き、シャツを持った方の手をのばしてそれをしげしげと眺めた。「ボストン・レッドソックス」と彼は言った。「あんた何者だい、負け犬の擁護者か?」
「その通り。望みのないものにしか興味が持てなくてね」

 こんな危険なものを野放しにしておいていいのか? と、読み終えて思った。ポール・オースターの本はいくつか読んだし、この作品にだってそれらの作品と似た要素だってあった。『孤独の発明』なんかに見られる‘父’のイメージや、『ムーンパレス』でもあったアメリカの旅、フラワーとストーンは『幽霊たち』の何色だったか、そんな感じだ。登場人物がいつも何かしらの本を読んでいるのも一緒だ。しかし、『偶然の音楽』には、何か決定的に危険な印象を抱いた。元々、ポール・オースターの小説に、あたたかみのある印象は持たない。ある種の運命論や空虚さを感じる。あるいは作中に出てくる模型についての一文がしっくりくるかもしれない。

温かみや感傷を感じさせるところも多々あるものの、この街全体にみなぎる気分は、恐怖のそれだ。毎日なかに暗い夢たちが大通りをそぞろ歩いている感触だ。懲罰の気配があたりに漂っている。まるで、街がみずからと交戦状態にあるかのように。預言者がやって来て、酷い、復讐の神の到来を告げる前に、何とか行いを改めようと街全体がもがいているかのように。

 俺はたぶん、この小説で疾走したことも、ギャンブルで敗北したことも忘れない。積み重ねられたものも、失われたものも忘れない。ある種の小説はとても危険なものだ。きっと、それらは俺を癒すべき毒なのだ。暴力表現や露骨なポルノよりも、もっと強烈に、何かを剔り取るように、俺は毒されて、癒される。