インソムニア

 昨夜帰宅すると、トラブルのある方の部屋からテレビの音が聞こえる。異常な大音量ではないので、俺がお好み焼きを焼いてテレビ観ながら飯食ってヘッドホンしてゲームをやる間は問題ない。問題はその後、寝る時である。前々日は無音だったため安眠できたが、風邪の影響もあって、すぐ眠くなった。十時半から十一時の間にはベッドに。その時は気になるような音もなく、大家さんに相談してよかったと思いながら眠りに就く。
 が、音楽の音で目が覚めた。目が覚めるくらいの音量だった。枕元の携帯電話ですぐに時刻を確認。午前0時35分。完全なルール違反だ。‘はらわたが煮えくりかえる’という表現は実に的を射た喩えだと実感。すぐに「ドンドン」と壁を叩いて軽く注意。あまりに大きく叩くと、他の住人にも迷惑だから気を使う。すると、すぐに音楽のボリュームが下がり、ほとんど聞こえなくなった。ちなみに、その音楽は吹奏楽的ラッパの音と太鼓が奏でるもので、荘厳というか勇壮なムードのもの。クラシックの曲だろうか。あるいは、何か昔のハリウッドの映画音楽という印象でもあった。
 というわけで、無事再び眠りの国へ帰れたのか? 答えはノー。眠りの国の門は固く閉ざされ、その前でひたすら早まる動悸、煮えくりかえるはらわた、にじみ出る妙な汗にもだえる自分があった。「わざと俺が眠りに就いた頃を見計らって音を出したのではないか」「すぐに音を下げることで、抗議をさせにくくしてるんじゃないか」「このまま俺は不眠に悩まされ続けるのではないか」「俺の持っている刺身庖丁は安物だから、すぐに折れてしまうんじゃないか」などなど、非常に悪い方、悪い方へと考えが広がっていく。
 これではいけないと、いったんベッドから出てトイレへ。一服するついでにテレビを付けると、横浜Fマリノスが中国のチームと試合中。A3とかいう東アジアのクラブ選手権らしい。見ているとすぐに右サイドの田中隼磨(「たなかはゆま」……下の方はどんな漢字だったかと思って検索したが出てこない。俺は彼の名を「たなかはりま」だと思いこんでいたのだ。昨日の実況でもそう聞こえていたのだ)から良いクロスが入って、中央に居た選手がダイレクトでゴール。その後ちょっと見ていたけど、ヘッドホンで聞いていたせいか、客の数が少なかったせいか、選手達のかけ声がよく聞こえた。「もうチョット右!右!」とか「もう一枚!もう一枚!」とか。なるほど、代表戦などを見ていて解説者が「もっと声出さなきゃ」というけれど、サッカーにおいて声出しは大切な戦術上の技術なのかもしれないな。
 ……などと思いつつ、テレビを消しヘッドホンを外し再びベッドへ。すると、先程のたうち回っていた時には気が付かなかったけれど、またもや隣のテレビの音が聞こえる。今度は話し声、それも男性のナレーションの声。たまに効果音が入る。まるで何か教育テレビの番組みたいな感じだ。これは誓って言うのだけれど、わざわざ壁に耳を押し当てたり、全神経を集中して聞こうとしているわけじゃない。普通に聞こえてくる音量なのだ、本当に。最初は映画の爆発音や重低音が響く音楽でもないから見過ごそうかと思ったけれど、これも気になって全然眠れない。よく考えれば、内容がルパン三世だろうと教育テレビだろうと、騒音は騒音だ。もう一度「ドン」と壁を叩く。すると、またすぐにボリュームが下がり、聞こえなくなる。これで音はおさまった。
 ……が、全く眠れない。動悸もひどいままだ。けっこう長い間「寝よう、寝よう」と努力したけれどダメで、仕方なくもう一度起きてソラナックスを二錠も飲んだ。その時見た時計の時刻は思い出したくもない。かくして、薬によってなんとか眠りにつけたが、朝は最悪だ。
 もしも誰かに嫌がらせをしたい、地獄のような苦しみを味あわせてやりたいという人が居たら、睡眠の妨害をおすすめする。その時はもちろん、相手を殺すつもり、そして、自分が殺される覚悟の上でやりなさい。これは本当に苛烈なやり方だ。