ガイアの夜明けとエントロピーの終わり

 昨夜つらつらとチャンネルを回していると、テレビ東京の「ガイアの夜明け」に行き当たった。日暮らしの人生を送る俺に夜明けはおおよそ関係ないものだが、工場における職人芸の驚異にしばしチャンネルを留めた。何でも、日本が誇る工業技術を支えてきた職人たちが間もなく定年を迎え、その後継者が問題になっているのだとか。伝統芸能や伝統工芸ならいざ知らず、こういった近代的な分野でもそういうものなのか。いや、とにかくそういうものだった。1/1000mmの領域などは、もはや芸の世界としか思えない。
 で、企業の方もそういった技芸伝承のための方策を採っている。その一例として取り上げられたのがマツダであった。あのロータリーエンジンを支えるのも職人芸。その後継者を育てる道場を作っているとのこと。エンジン部門の師匠と弟子の試験が紹介されていたが、それもまあ驚くべきもの。ロータリー回りの一カ所に、ノミでこつんと傷をつける。で、エンジンを回して音から異常箇所を発見せよ、というものである。これはもう、神仙修行か精神鍛錬か。しかし、現実にそういう技術を為す人間がいるのだから仕方ない。
 しかしまあ、まったく人間の潜在能力には呆れるばかりだ。生命そのものが反エントロピー的存在らしいが、1/1000mmなどという、自然界で生きて行くにはまるで必要のない情報領域まで踏み込めるとは、伊達に霊長を名乗っているわけではない。汎用性の高さゆえに、いくらかのスペシャリティを失っているように思われても、その実のところ、眠っているだけなのやもしれない。それなのに、俺を筆頭として大した人生を送っていると言える人間がどれだけ少ないか考えてみるに、世界のバランスというのも何かわからないところで定められているようにも思われる。
 ところで、テレビ東京がCMになった途端、俺はいつものように激しくチャンネルを変えた。すると、ついさっき映っていた、マツダの金属職人が熱した鉄をパッと水につけてジュッとやってる光景が目に飛び込んできた。俺は自分が寝ぼけてるのかと思った。しかしそれは、テレビ朝日の「報道ステーション」内の一コーナー。古館とか出てきた。題材はほとんど裏の「ガイアの夜明け」と同じで、取材対象も同じ職人というかぶりっぷり。俺はしばらくキツネにつままれたような気になっていた。テレビ局にとって、お互いこれをぶつけ合ったところで何か意味があるようでもなく、単なる偶然か。それともどこか、我々の知らぬところで繋がっているのか。世界はまた、巨大なヴンダーカマーであり、テラ・インコグニタ、そして常に照応しあう帝網そのものなのであった。