プレーオフ肯定のためのメモ

 今朝、フジテレビのとくダネ!において、小倉智昭パ・リーグプレーオフ制度を痛烈に批判していた。小倉は西武ライオンズファンで、パ・リーグについても造詣が深い。そして、去年の西武優勝時においても、この制度を批判していたのだから筋は通っている。百何十試合というゲームは何だったのか。マラソンを走ったあとの短距離走でいいのか。……無論、これらの疑問は俺の中にもあった。しかし、今年のプレーオフを見て、俺は俺の疑問を廃棄することに決めた。以下、俺が俺を納得させるための覚え書きをメモする。
 まず、シーズンとの価値差について。これに対して考えたいのが「日本シリーズはいいのか?」という疑問だ。日本シリーズは日本一を決める決定戦である。しかし、それがたった七試合でいいのかと誰も言わないのか。それまで両リーグ合わせて二百五十以上の試合をしてきたのを、たった七試合、場合によっては四試合で決まってしまう。二チームで二十試合くらいすべきではないのか。しかし、そういう意見はあまり出てこない。
 それならば、日本シリーズはオールスターのようなお祭りに過ぎないのか。そういえば誰だったか、優勝経験のある元名選手が、「日本シリーズはおまけ、ボーナスステージみたいなもの」と言い、年俸にも反映されないと発言していた。俺はそれを聞いてとても残念に思った。日本一という称号が、そんなことでいいのかと。もしもプレーオフ制度批判をする人が「日本シリーズはお祭り、シーズンは真剣勝負」というのなら、それには大いに異を唱えたい。やはり価値のピラミッドはきちんと整えられるべきであり、日本の野球は日本一に集約されなければならない。そのうえで、日本シリーズ日本シリーズとしての価値を有し続けてきた。その日本シリーズが短期決戦で、リーグ優勝の最後が短期決戦いけないはずがあろうか。
 さらに言えば、もしも日本シリーズがお祭り的なおまけになっているとすれば、やはり悠長すぎる日程の問題がある。ロッテと西武が激闘を繰り広げている間、ソフトバンクは何をしていたか。ロッテがソフトバンクと死闘している間、阪神タイガースは何をしているのか。今はパのプレーオフがあるから片方を楽しめるが、そうでなければ御丁寧に消化試合を待っているのだ。シーズンの熱気をそのまま持ち込むような工夫が必要だろう。それにはプレーオフという制度が適してはいないはずがあろうか。
 忘れてはいけないのは、プレーオフの中身の充実だ。はたしてあれを見て、シーズン百三十六試合が軽んじられていると言えるだろうか。むしろ、バックにそれだけの試合を背負っているからこそ、あれだけの試合になる。順位上で上にあるチームも負けられなければ、下から上を狙うチームも絶好の機会と意欲に燃える。それが直接対決の形でぶつかり合う。凝縮、濃縮された試合は、大きく還元されるに決まっている。無論、これはリーグ戦の中で偶然によって現れる場合もあるシーンだ。しかし、その熱気を人工的に作りだして悪いはずがあろうか。そもそも野球は自然の営みでなく、人間が人工的に作りだしたゲームだ。細かなルールも、ペナントレースのシステムも、全てはゲームのため、人間がより楽しむため。何も連続性のカオスに娯楽性を委ねておく手はない。連続の切断、不連続こそがコスモスであり、人間文化そのものだ。そしてなお、そのコスモスの枠内であるゲームでカオスが生まれる(初芝のヒットなど)から面白い。人工物をいつの間にか自然の営みのごとく捉え、漫然と流れるがままではいつか熱死する。その滅びの予兆が大いに見られたのが去年ではなかったのか。あるいは今年ではないのか。生命もしくは文化は、エントロピーに逆らわなければならない。
 さて、その危機の中にあってこのプレーオフは貴重な熱気をもたらしたのではないか。このプレーオフの最後の二試合を放送したテレビ東京は、視聴率17%の好結果を得た。今なおプロ野球は捨てたものじゃない。どんなにプロ野球の危機を論ずるよりも、この結果が全てを物語る。そしてこれは、結果のみならず、新たなるスポンサーや興味の原因にもなる。この好機を捨てて、漫然と消化試合から消化日本シリーズを選ぶ理由がどこにあろうか。人の手で作れる部分は人の手でお膳立てを整え、その後は勝負の女神に委ねればいい。春先に日常としてのシーズンが始まり、気分転換の交流戦、夏祭りのオールスター、そして、プレーオフから日本シリーズへと豊饒の秋を迎える。これでいいじゃないか。もちろん、その先にアジアシリーズや世界戦があってもいい。試合過多? 大リーグに比べれば日本は楽すぎた。わずか一握りの中の一握り、それだけの才能を持った選ばれた人間なのだから、栄光を掴めるチャンスが多ければ多いほどいいはずだ。
 以上のことから、プレーオフ制度は日本プロ野球の一貫性をそこなうどころか、さらに確固とするに足る要素であると弾ずる。日本プロ野球の弥栄を祈りながら、ここでキーを叩く指を止める。