流れよ我が涙、とジョージ・マッケンジー卿は言った

http://www.geo.ed.ac.uk/scotgaz/people/famousfirst773.html

Sir George Mackenzie (Lord Royston; Viscount Tarbat; Earl of Cromartie)
1630 - 1714

 おそらく、昨日から今朝にかけて全国津々浦々、実に多くの人々が「ジョージ・マッケンジー」という名前を口にしたと思われる。「ジョージ・マッケンジー」。そうだ、彼が太平洋を渡ったら、そう呼ばれるに違いない。そんな、たわいのないジョーク。しかし、その陰で本物ののジョージ・マッケンジーが涙を流しているのかもしれない。そう思って俺は検索を掛けたら、上の人が出てきた。ジョージ・マッケンジーとはどんな人なのか。
 俺はイギリス史など受験で世界史で触れた以外は知らず、いまではとんと霧散してしまっている。言うまでもなく、英語も解さぬ浅学の身ゆえに、Excite翻訳に全面的に頼って、このマッケンジー卿の略歴を見た。どうも名誉革命の頃の、スコットランドの法律家にして政治家らしい。歴史用語なので何と訳していいかわからぬが、法院の長や首相という地位にあった人のようだ。また、初代のクロマティ伯爵とあり、あながち野球と縁がないわけでもないのである。さらにウィキペディアなども見てみよう。
http://en.wikipedia.org/wiki/George_Mackenzie,_1st_Earl_of_Cromartie

Mackenzie was a prosecutor for Charles the Second and earned the nickname "Bluidy Mackenzie" for vigorously pursuing Covenanters whom he had tortured to gain confessions.

 何やら物騒な話である。"Convenanters"は‘誓約派’というキリスト教の一派らしい(研究社新英和大辞典による)。そいつらを‘活発に’拷問したので、‘Bluidy Mackenzie’とあだ名されたという。‘bluidy’は先の大辞典にも出ていない単語だが、検索すると‘bloody’の古語か何かのようだ。「ブラッディ・マッケンジー」。クロマティとか言ってる場合ではないのかもしれない(今、どんな場合なのか自分でもよくわからないが)。さらに、http://www.electricscotland.com/history/other/mackenzie_george1.htmには肖像画があり、なお詳しく色々書かれているようだが、そこまでは付き合ってられない。
 そうだ、俺は城島健司の話がしたいだけなのだ。その城島の発言。
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/p-bb-tp0-051101-0006.html

「捕手はメジャーの中で(日本人選手が)挑戦していないポジション。正捕手として自分を迎え入れてくれる球団。簡単ではないが、メジャーで正捕手として雇ってくれるのが条件になります」

 いきなり正捕手要求での渡航決意である。「正捕手として契約」ということ自体ありなのかなしなのかよくわからないが、強気の態度と言って間違いはなかろう。確かに捕手のポジションはたった一つで、それも固定されるのが望ましく、今年のロッテのようにツープラトン体勢(で尚かつ強い)というのは珍しい。ゆえに、城島としても、メジャーに行く以上は正捕手でやらなければ意味はないという決意のあらわれとも言えるだろう。しかし、それを勘案しても、最初から正捕手で、という態度はどうなのだろう。無論、俺は城島が現在の日本プロ野球最高の捕手としても誤りではないと思うし、その日本プロ野球のトップクラスがメジャーにひけを取るとも思わない。ただ、今向こうで成功している選手たちを見ると、「一からの挑戦」という姿勢あってこそ、というケースが少なくないように思える。もちろん、城島が日本プロ野球をそれだけ高く評価しているとも取れる話でもあるが(MLBの控え<NPBのレギュラー)。
 まあ、捕手などというのは裏の裏の裏をかく人間のやることなので、真意を推し量るのは不可能だ。こういう会見の言葉の一つ一つが、来季のある試合のある一球の布石になっているものなのである。余人にはうかがい知れぬその世界、その日米間の差異を見るためにも、是非とも挑戦が実現するのを願うばかりである。