西澤さんに異議ありやなしや

 昨夜、NHKにんげんドキュメントで、41歳の現役ボクサー西澤ヨシノリを特集していた。西澤さんといえば、俺ですら概略を知っている有名な‘中年の星’だ。最近、わずかながらボクシングづいていることもあって、見た。そして、深く印象に刻まれたのだ、西澤さんの奥さんの苦しむ姿が。
 そのシーンはラスト近く。東洋太平洋の防衛戦に負け、引退勧告を言い渡されての帰宅後。西澤さんテーブルを挟んで、向かいに娘、その横に奥さんを座らせた。そして、娘に向かって「ボクサーはやめない。オーストラリアに行って続けるから心配するな」と言うのだ。これ、見ようによっては、あまり言いたくはないが、ちょっと卑怯じゃないかと思う。娘さんは面と向かってやめて欲しいとは言わない。まだ、ボクサーが長年蓄積するであろう身体への負担や、突然のアクシデントを理解し切れていないだろう。
 しかし、奥さんは別だ。その時、テレビカメラがあることをまるで意識しないでうつむき、沈み込むその姿。そして、聞こえるか、聞こえないかの声でうなづくようにする姿。俺は、ここまで辛そうに、苦しそうにする人の姿を、ブラウン管越しに見たことがない。
 単に「もうやめてほしい」では済まない。かといって、「夢を追って頑張ってほしい」とも言い切れない、その板挟み。娘さんのこともあろうが、それでも西澤さんからボクシングを奪うわけにはいかない、奪おうとして奪えるものでもない。そしておそらく、奥さんが愛する西澤はボクシングを含めての西澤さん。しかし、本人がなっとくしないことには、てこでも動かない。動かせない。こりゃあ辛そうだ。拳闘に生きることも、夫婦生活も、子供がいることも無縁な俺だけれども、そう思えるし、あの姿は相当なインパクトがあったのだ。
 おそらく、二宮清純が述べるように「彼には愛する妻がいる。かわいい娘もいる。もう十分過ぎるほど戦ったではないか。登る勇気よりも、降りる勇気――。今が潮時である。」(http://www.ninomiyasports.com/xoops/modules/news/article.php?storyid=6377)と言うのが、おおよそ正しいのかもしれない。しかし、それで動かぬような人間、おそらくそういった声も耳にしつつ動かなかったような人間。それをいったいどうしようというのか。
 そして、たぶん我々が娯楽として消費するもののうちのいくつかは、西澤さん的ななにかの上に成り立っていて、我々はそれを知ってたり知らなかったりしつつも、それに喜んだり、勇気を貰ったと言ったり、逆にののしったりもすることもあるだろう。やる方も愚かで、見る方も愚かで度し難く、それゆえに世界はおもしろいことで溢れているのだから、まことに愚かで度し難く、それゆえにおもしろいのかもしれない。