セーフティネットありやなしや

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2007/03/17/01.html

清水に欽ちゃん球団が“救いの手”

 裏金問題で早大野球部退部となった清水勝仁選手の話題である。欽ちゃん球団が獲得に名乗りを挙げたというのである。まあ、これは記事として面白く仕立てようという面もあって、本題は社会人野球が受け入れをしめした、ということだろう。
 「欽ちゃん球団いけば?」、「四国アイランドリーグがあるじゃない」などとは、ファンがプロ野球選手について辛辣に言う場合出てくる言葉である。中村紀洋の件でもたくさん出てきたことだろう。しかし、中村については半ば冗談かも知れないが、それがそういった救済、再チャレンジの場が用意されているのは事実である。
 広島カープを解雇された天野浩一投手は、四国ILに場を移してプロへの復帰を狙っている(http://osaka.yomiuri.co.jp/sl-baseball/20070217ks02.htm)。その思いは本気であるし、その可能性は少なくないと信じる。また、社会人からの出戻りでプロに復帰した例もあるし、ドラフトにかからなかった選手が米独立リーグ経由でプロ入りする例もある。
 かように、野球に関しては再チャレンジのチャンスは少なくない。とはいえ、選択肢がここまで広がったのは最近のこと。そういう空気をつくり出したという意味でも、欽ちゃん球団や四国ILの役割は小さくない。やがてサッカーのように、プロ野球(そして日本代表)を頂点としてピラミッドが形成され、チームごと上をねらえるような体制ができてくるのも面白いかと思う。
 それに比べて競馬はどうだろうか。馬の話ではない、人の話だ。
 もちろん、岩手競馬の例があって思いついた話だ。岩手競馬はまだ完全に消えてはいないが、消えた競馬場も多く、それによって場を失った人たちは山ほどいる。他場へ移って活躍している人は一握りだ。地方のどこもかつかつの環境であって、受け皿にはならない。中央の門を開くのはなかなか難しい。
 パイが少ないといえばそれまでだろうか。いや、それよりも競馬の特殊性が大きいだろうか。本来非合法の博打の例外。野球の選手が集まってチームを作ってスタジアム借りてプレイするのに法は文句を言わない。しかし、競馬となるとそうはいかない。もしも賭け事要素なしで、スポーツ観戦競技として入場料をとったとして、成立する類のものではない。そもそも客が来るだろうか。
 だから、もし岩手競馬が完全廃止となれば、立派なオーロパークは無に帰す。これは惜しい。しかし、博打込みの競馬として成立しない以上、競馬場にも再チャレンジは許されない。モハメド殿下に買ってもらいたい、などというわけにはいかない。
 日本競馬の裾野は狭い。オーストラリアのようにタクシー運転手兼馬主兼調教師というわけにはいかない(地方競馬では後者二つはある……か)。草競馬はあるにはあるが、ほんの一部の行事だ。国土、生活、文化。馬券をガンガン売って、売って、売って、という形でしか日本競馬は成立せぬ。悲しいが、これは認めなくてはならない。しかし、日本の人口は減るし、景気は悪く、レジャーは多様化し、ギャンブルはパチンコやパチスロの病的中毒性にかなわない。売って、売って、売ってが難しいなら、出ていく金を抑えていくしかない。拡大の夢ではなく、縮小の現実を見据え、身の丈を見極めなければならない。実に夢がない話だが、競馬の夢を見るための場が消えてしまっては話にならない。
 その全体の身の丈のために岩手が消える、という見方もできるだろうか。しかし、それはあまり認めたくない。片側のエンジンが不調の飛行機があって、いきなり荷物を捨てていいのか。荷物の置き場をかえてバランスを取ってみるのが先ではないか。枯れかけの枝があって、いきなりそれを切り落とすのがいいのか。別の枝の繁りすぎた先を落として、栄養を配分してみるのが先ではないか。靴を脱ぐつもりで足を切り落として動けなくなるのは愚かである。その全体を見る医者はいないのか。あのバラバラの野球ですらどうにかしていこうという危機感がある。あちらも誰が頭かわからぬが、胴体だけでももっそり動きつつある感はある。競馬に関わるものにも多くの智恵者がいるはずだ。政治家や役人の他人事仕事任せでは先が暗い。追いつめられてからいくらアピールしても遅い。馬に向ける思いや考えの一部を、競馬全体に向けてもらえないか。