身が弱ったときの我が身びいき

 親から継いだものは不生不滅の仏心一つ。他の怒りの感情などは保身の我が身びいきゆえ、というのが不生禅(id:goldhead:20070409#p2)といっていいだろう。俺はそうしようとつとめようとして、それはいいアイディアだと思ったが、体調を崩して熱発が続いてもう半月くらいになるか。そうなってくると、身びいき、保身、それによって相手を否定すること、とにかく我が身大事の心は俄然強くなる。病という甘えもあるし、保身の本能というようなものもあるかもしれない。と、本能など持ち出しては不生の心持ちとぶつかる。考えてみれば、親の腹から出た赤子は我が身びいきのかたまりではないのか。腹が減っては乳を飲ませろと泣き、眠たければ眠る。これは不生不滅の仏心の姿だろうか。獣の生は一つであり、人は自らの生を顧みられる点で二つとかどこかで読んだが、はたして赤子の生は一つか二つか。犬の声を犬の声と自然と聞くとき仏心がはじめてあるのかどうか。まだ『語録』を最後まで読んでいない、というか前半も終わってないので、これを気に掛けて読もう。今日も熱と動悸、頭痛。眠りが浅いのも相変わらず。バファリンマイスリーソラナックスメイラックスアスピリン、そして胃腸薬。いや、全部いっぺんに飲んだりはしないけど、どっかから薬が湧いてくる。