神奈川県に対する帰属意識の低さについて

 自分のはてブに「地元」というタグをつけていた。自分の意識としては、自分の現住している横浜、かつて住んでいた鎌倉およびその生活圏内藤沢、そして通学先逗子あたりのことだ。なんとなく土地鑑があるか、想像がつく範囲のことだぜ、って意味だ。
 ただ、ソーシャルブックマークのソーシャルのところにおいて、一応誰かさまの目に触れるのに「地元」では、あまりにもセマンティックでなさすぎると、そういう気持ち悪さもあった。別に、自分用の分類であって、それがたまたまほかの誰かと一致した結果の積み重ねで集合的な意味が出てくるわけであって、それは偶然の結果であって目的でもなく、そこに合わせようという意識は不要だろうと思う。思うけれど、なんとなく意味を持たせたかった。
 そこで、「神奈川」とした。上に挙げた場はすべて神奈川県内だ。県単位というのは悪くない分類だ。市町村だと細かすぎるし、まあいいだろう、と。それに最近、たまに県央、県西方面にも行くし、少しは見当がつくようになっている。
 ……が、まるでしっくりこない。はっきりいって、「地元」より気持ちが悪い。すごく曖昧模糊としたラベルを貼っているような気になる。別に神奈川県だとか、県知事だとかに特別な嫌悪感を抱いているわけではないのに、「何か違う」という思いが強い。これはもう、神奈川県に対する帰属意識の薄さ、地元意識の薄さに起因するのではないかと思う。それぞれの市町村の……。

 と、三年も前にまったく同じ事を書いていたので、もういいや。でも、今回のタグの件は非常に自分の神奈川に対する意識というのを浮き上がらせてくれたと、そう思うのでした。おしまい。