4.23〜草なぎ革命の記録〜

読者へ

 草なぎ剛が、たった一人でなしとげた革命とはなんであったのか。あるいは、なしとげられなかった革命とはなんであったのか。われわれは何をなし、何をなせなかったのか……。今もってその答えを出すのは容易ではない。かといって、歴史の手にゆだねることはできない。それは、この同時代に、草なぎ剛とともに生き、そして同じ時間をすごしてきた人間の義務……、いや、権利なのである。あの燃えさかるような日々、革新を確信したわれわれの、あの魂の躍動を、たとえつたなくとも、言葉にして残そう。たとえ、言語が永遠を愛撫できなくとも、あらたに生をうける、あらゆる生命が、つねに、解放されつづけ、自由でありつづけるための、その一助になれという、その自由な願いのために、書き残そう。

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 2009年4月23日。そのニュースは日本全土を駆けめぐった。たとい敵国から放たれた一発のミサイルですら、あの稲妻のような情報の伝播、人々のコミュニケーションというコミュニケーション、ネットワークというネットワークを瞬時に覆い尽くした熱狂にはかなうことはないだろう。最初の衝撃、そして、つぎつぎと伝わる、草なぎ剛の戦い。
 「裸だったら何が悪い」。あらゆる思想家の問い、詩人のことば、政治家のうったえ、宗教家の祈り、そんなものを一瞬にして吹き飛ばす言葉の力。これだけ多くの情報、言葉、映像の氾濫にさらされていきているわれわれに、あれほどとどくメッセージはあったろうか。空を覆う厚く、重苦しい雲を吹き飛ばす一陣の風。それは、われわれの魂のくもりをも、一瞬にして吹き飛ばしてしまった。
 ああ、それは4月24日にはじまった。そのことは、われわれにひとつの教訓を与えてくれた。ひとびとが変革するには、最低でも一晩必要なのだ、と。ひとびとが眠りから覚めたとき、まだそれは続いていたし、いまそのとき、変わったのだ。すべては一変した。それは、あらゆるひとびとに起きた。家族が、恋人が、朝いちばんにお互いを見て、それはさらに強固になった。昨日草なぎ君がはじめたものは、まだやんでいない。そしてまた、今、わたしたちは変わったのだ、と。

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 私は、それからの世界のありようを書き記すための単語を知らない。ただひたすらの全裸、全裸、全裸。全裸の洪水があらゆる路地を、街路を、幹線を埋め尽くし、ありとあらゆる狂乱が、ひとときもやすまることなく続けられた。ある者はありとあらゆる権威と管理の象徴に向かって「バーカ、バーカ!」と叫びつづけた。ある者は「シンゴー! シンゴー!」と叫び信号機にぶらさがった。よく見ると、池谷幸雄という名の男だった。
 あらゆるモニタからは、草なぎが「オレになれ! メンズエステTBC」とポーズを決める映像が流されつづけた。その中の草なぎは、当然のことながら全裸の姿に加工されていた。あらゆる全ての優秀な技術者たちが、あらゆる全ての情報網を覆い尽くした。当然、彼らも全裸であった。クサナギスト、メンバー……最初はこの濁流をそう評していたインテリや評論家たちも、やがては服を脱いで、我先に飛び込んでいった。
 草なぎを捕らえた権力の象徴である、各地の警察署は、一瞬にして全裸によって取り囲まれた。「裸だったら何が悪い!」、ひとびとの叫びは止むことはなかった。そして、そこに現れた警察官たちすら全裸だった。流れよわが涙、と警察官は空に銃を向け、「アイャァァ」と叫びながら一発、二発、三発……と全ての弾を撃ち尽くすと、また彼も銃を捨て、全裸の一員となった。もはや権力も隷属もない、ただただ裸の一群があった。二群があり、三群があり、また大きな群となって、あらゆる衣服を引きちぎり、ビニールシートを突き破り、なにか大きな意思に突き動かされるように、はてしなく行列は続いていくのだった。
 ああしかし、なんという全裸! 全裸、全裸、全裸! 老いも若きも裸だった。男も女もその他あらゆる性を超えて全裸だった。盲いた者も全裸だったし、その手を引く者も全裸だった。肌の白い者も黒い者もそれ以外の色の者も全裸だった。よく鍛えられた肉体の持ち主も全裸だったし、やせ細ったひ弱な者も全裸だったし、だらしなく肥えた者も全裸だった。誰もが誇らしく裸、かっ歩して、それぞれにふんぞり返って、走れる者は走り、歩ける者は歩いた。それができぬ者は、それぞれの方法で移動した。ある者はビニールシートでくるまれ、またそれを引きちぎり、またくるまれ、そのようにして進んで行ったのだった。

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 進んで行ったその先は……、今やささやかなメモリアルのみを残すあの場、すべての終わりの場所であり、はじまりの場所、原宿署である。原宿署を取り囲んだあの全裸の渦。ありとあらゆる建築物はなぎ倒され、ただひたすらの荒野を、全裸の人々が取り囲んだ。そう、そのときこそ、草なぎ剛の釈放の日。ひとびとは、彼の帰還を待った、待って、待って、待った。ある者はアナログテレビを天に向かって掲げつづけ、ある者は地デジ対応テレビをハンマーでたたきつづけた。だが、なんともいえぬ奇妙な静寂があった。奇蹟を目の当たりにするであろうという、人間の精神の持つ、奇妙な厳粛さがそこにはあったのだ。
 やがて、その時がきた。ああ、あのとき、あの奇妙なざわめき、沈黙をどう表現しよう。われわれは、めいめいに声にならぬ声を聞いた。見てはならぬ者を見たような気がした。草なぎ剛は……ジーンズを履いていた。上半身は青いTシャツの上に、ジージャンを羽織っている。服を……服を着ているのだ! 雲霞のごとき数えきれぬ人々、全裸の星雲、その中にあって、ただ草なぎ一人が、服を着ていたのだ。

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 草なぎは、いつもテレビで見せるような、すこしはにかんだような表情であたりをゆっくり見回した。そのとき、われわれの顔には何が浮かんでいたろうか。呆然としていた、困惑していた。驚きでいっぱいになって、声も出なかった。やがて、沈黙の女神がこの地に降り立ったとき、草なぎは語りはじめた。

 「……今日は、僕のためにあつまってもらって、ありがとう。そして、たくさんの人に心配と、迷惑かけて、ほんとうに申し訳なく思っています。外のことは、牢の中の僕にも、つたわってきました。看守さんも裸だったけれど……、やっぱり、この目で見るまでは、信じられなかった。
 しかし、今、みなさんは、この僕の姿を見て、驚いているかもしれません。このすべてのはじまりである僕が、服を着ていることに。僕も、正直、牢の中、ひとりでとても悩みました。たったひとりで、考えました。暗い監獄、尽きることのない孤独……。その中で、僕は思ったんです。僕は、ベストジーニストだ。ジーンズを履こう、と。
 みなさんに、誤解してほしくはありません。僕は、決して何かに屈して、服を身につけたのではありません。何かから逃げて、服を着たわけじゃない。僕は、僕の、解放された、自由な魂の選択にしたがって、服を着たんです。
 僕は、監獄の中で知りました。今まで、そんなところに入ったことはなかった。そこで、僕は見つけました。僕の魂は、このとらわれの場にあっても、いや、あることによって、どこまでも自由であると、その自由のことを。そこで、あらゆる価値は、転倒していたのです。そして、僕は、それまでの僕をふり返りました。
 この、日本という社会の中で生まれ、育ち……、そしてSMAPという、アイドル、虚像を演じ、いったい、それがなんであったのか、と。僕は、それもまた、監獄の中にあったのだと、僕は、ずっと囚われていた、幽閉者だったと、気づいたのです。
 だから僕は、あの恍惚の中で、本当の僕をとりもどして、服を脱ぎ、叫んだんだ。裸でなにが悪いのか、悪くなんてないんだって、そう叫んだんです。それは、あらゆる人、僕を信頼してくれた人、応援してくれた人、そんな人たちへの裏切りになる。僕は、それに気づきつつも、なお、やめることはできなかった。僕だけでなく、すべての人が、この囚われから自由になり、解放され、そうなってくれればいいと……。
 けれど、僕は監獄の中で、自分の魂の、自由のありかをさぐりました。さぐってみて、ふと気づいたのです。僕はもとから自由だったんです。監獄の中にあって、精神の自由に触れたように、たとい僕が、SMAPという仮面をかぶり、ヴィンテージのジーンズを履いていても、その中の僕は囚われているがゆえに自由、服の中の自分は、いつだって全裸なんです。ジーンズを履いたって、全裸なんです。
 そしてまた、今、僕は確信しました。こうして集まってくれたみなさんに言うのは、心苦しいけれど、服を着た僕を見たみなさんの目は、いったい、どんな目でしたか? それは全裸の目でしたか? 僕を、全裸の帝国に反逆するテロリストと見なしはしなかったですか? 僕を、なにか異端なもの、退けねばならぬ者と見はしませんでしたか? 僕は、それこそが、僕らを縛る、権威、常識、予定調和の衣装、仮面なんです……。全裸という服を着たって意味はないんだ!
 ……だから、僕は、またこうして服を着て、こうしてここに立っている。許されるならば、またアイドルとして、皆さんの前に立ち帰りたいと思う。鳩山大臣にも許してもらって、また地デジの普及につとめたいと思う。一台一台、地デジを配って歩いたっていい。でも、勘違いしないでほしいんです。そのときの僕はやはり全裸だし、また、みなさんも全裸であるということを。人間の魂は、この世がはじまっていらい、常に全裸であったし、また、永遠に全裸であると。もしも、そのことをいんちきだという人がいたら、僕はまた服を脱ぐ。徹底して糾弾する。だから……、だから、みなさんも、また、それぞれに、それぞれの、かりそめの服を着て、それでいて自由でいて……ほしい」

 草なぎは滂沱の涙を流しながら、ついには嗚咽がとまらなくなった。ひとびとは……まだ沈黙と、困惑の中にいた。急に通路を封じられた迷路の中のモルモットみたいに、ただただ呆然としていた。座り込んで、ぼんやりと草なぎを見ていた。

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 その沈黙を破る音が響く。ハッと皆が見やった。拍手するものがいる。力強く、あたたかな拍手。冷え切った野にふりそそいだ、太陽の音。みなの視線の先には、香取慎吾がいた。「おかえり、つよぽん」。その隣には稲垣吾郎がいた。彼もまた、十字架を背負う者だった。彼も手を叩いた。そしてもちろん、中居正広がいて、木村拓哉もいた。「おかえり、つよし」、「おめでとう、がんばったな」、「また、よろしくな」。
 また、少し離れたところで、立ち上がって拍手する者がいた。ひとびとは彼をも見逃さなかった。森且行だった。
 やがて、拍手の輪はあたたかなさざ波となって広がって、ひとびとは、めいめいの鼓動を確認し、また脈打つ血の音を感じた。みな、ふたたび立ち上がり、少し全裸を恥ずかしそうにしながら、思い思いの言葉を口にした。「ありがとう!」、「ありがとう!」、「地デジのテレビを買うよ!」……。

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 ひとびとは気づいただろうか。この大きな輪の外から、さらに距離をおいて見守る者のあったことが。そこには、草なぎの前を先駆けていった者たちがいた。田代まさしがいた、清水健太郎がいた、横山やすしもいた。彼らが夢見て果たせなかった、あたらしい時代のはじまりを、その目に焼きつけていた。全裸で。
 やがて、輪の外にいた、一人の男がピアノを弾きはじめた。その男も、また為そうとして果たせず、しかし、まだあきられめられず、この場に引き寄せられてきたのだった。
 男が弾きはじめたのは、かつて彼がDEPARTURESと名づけた曲だった。ひとびとによく知られた曲だった。そのはずだった。
 だが、そのとき、彼の弾いたDEPARTURESは、かつて演奏されたあらゆるDEPARTURESとは似ても似つかないものだった。そのときまで、誰も聴いたことのない、あたらしい時代の、あたらしい音楽。
 すべての時代はここに幕を閉じ、すべてのあたらしい時代が、そのとき出発したのだ。そしてまた、私たちは、今、この時もなお、幽閉と解放を繰り返しながら、ただ一人の全裸の存在として、また、めいめいに生まれ、生き、死んでいく。その胸には、あのときの草なぎの、はるか高層マンションの28階までとどいた、あの叫び声が、響き続けていく。


〜完〜