鈴木大拙の家庭の事情を垣間見ること

鈴木大拙 (道の手帖)

鈴木大拙 (道の手帖)

 昨日の夜さ、ひさしぶりに本屋行ったの。そうしたら、思想・宗教コーナーみたいなところで、なんか見覚えある顔(土門拳の写真だった)があってさ、平積みっていっても最後の一冊だったんだけれども、「おお、鈴木大拙じゃん!」って、これも運命かと思って一も二もなく買ったんだけれども。
 で、このムックは、まあ、いろいろな人が鈴木大拙について語ってる本。俺が最初に大拙を知ったのは、『鈴木大拙随聞記』(志村武)だったんだけれども、まあその作者の、あの本にも収録されてたあたりとかも載ってたりした。
 そんで、大拙の最後を看取った医師・日野原重明とか、朝比奈宗源の、なんつーの、追悼文みたいなのとか、あと写真とか(ハイデガーと並んで撮ったりしてるやつ)もあって、大拙ファンとしては満足の一冊。
 ……なんだけれども、ともかく一番面白かったのは、「初公開資料」って銘打たれた、「ビアトリス 鈴木大拙宛書簡」。これ面白い。ビアトリス(ベアトリス)は鈴木大拙夫人。こないだ、こちらの記事を読んで、ちょっと興味でてきたところ。

そういう目で大拙の嫁さんのベアトリスを見ると、彼女はまさにアメリカにおけるProgressive Undergroundの見本のような人で、神智学を信奉し、動物愛護(あるいは捨て猫拾い)と菜食主義を実践していた。鈴木家に招かれた連中は、味も素っ気もないまずい菜食に目を白黒させている。

電気的真丹後蝸牛報

 それで、なんか神智学(っつってもよう知らないけど)の話なんかしてんのかと思いきや、そういうんではなくて。「初期の恋文」、ニューヨーク市にて。明治四十一年二月十五日(火曜日)の手紙の末尾なんかこんな調子。

 最愛なる貞様。あなたを深く愛しています。母と、その活動を除けば、あなたは私の人生のすべてなのです。親愛なる人よ。さようなら、または、アウフ・ヴィダゼーンとアウ・ルヴァー。次にお会いできる時を今から楽しみにしております。
 愛する、愛する、あなたのビアトリスより

 みてえな、貞様って(本名貞太郎)、こんな甘〜い手紙を、アメリカを離れる大拙に渡したりしてるんだよね。まあ、活動ってんはなんだかわからんが。
 でも、なんか結婚したりすると、風向き変わるよね。大拙は、晦日と正月を一人で過ごすのを恒例としていたんだけれども、それについて。

 今日まで、大船の電報を除くと、あなたからは何も連絡がありません。

 この数年間、私達はいつも新年を別々に過ごしています。官舍に居た時にも、あなたはいつも私を残して、正伝庵へ言ってしまいました。今年はどういうわけか、とりわけ寂しく悲しい思いでいっぱいです。

 それで、次の手紙が「息子アランの事」(昭和十二年二月)。……って、鈴木大拙に子供いたのかよ? それなりにいろいろ読んできたつもりだけれども、初耳だわ。というか、あんまり触れてはいけないとされていたことなんかな、そのリスペクトいっぱいの「随聞記」的なところでは。で、こんな内容。

 特にアランのことが心配です。朝食の後「パパはいくらかお金を置いていったか?」と彼は聞いてきました。「いいえ」と私は行って、「最近パパからいくらかお金を貰った?」と聞いたところ、彼は「五円」と言いました。

 「今学期の試験を受けない」と彼は言いました。「あんたとパパは、俺の事をこの家の恥だと思ってるんやろ、だからもう終わりや」と言い放って、家を出てしまいました。

 「今回、パパは一生に一度の大間違いをしている。俺はパパの財布からお金を取っていない」とアランは訴えました。

アランは、「パパが決め付けた考え方しかしないので、どんな事言っても無駄や」と思っているようでした。

 ……なんや、大丈夫か鈴木家。
 そんで、このあとの手紙も、フォアマン夫人(誰?)が自分をお茶会から仲間はずれにしたとか、大拙がエヴェレット夫人(誰?)にばかり禅について親切だとか、高野山にいるけど、真言宗の儀式はもう嫌だと言ったり、宗教的問題を抱えているといったり、まあなんかその、鈴木大拙にこんな一面が! みたいな、そんな風に見えてくる。いやはや。
 これを訳した、横山ウェイン茂人(この本、各記事の作者略歴とか載ってないから不親切だと思った。あと、竹熊健太郎が書いていてびっくりした)さん曰く、このとおり。

 鈴木先生が亡くなってから四十年経った今、ビアトリスの手紙は貴重な資料になりつつあります。鈴木先生の詳しい伝記を書く為には、先生の書簡類や英文日記を参照すべきです。しかし、その当時の鈴木家の状態を知りたいと思ったら、いつか公開するビアトリスの手紙を読めばよいでしょう。それらを読むと、先生はいつも偉大な人として書かれていません。特に先生の救いに働きがあった結婚生活は、先生の悪い面をもたらせた感じがします。しかし、これからの世代が見出す鈴木大拙は、その人間的な欠点の多い鈴木大拙が、敢えて我々の心に印象強く映るかもしれない。

 うーむ、まあしかし、これもまあ、そうなんじゃねえの、と。正直、ますます好きになったということはないけれども、かといって、見損なったって話でもねえし。そういや、あんまり家族とか親子について語ってないっけとか、そんなん思ったりさ。まあいいや、そんなところで。
 
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