※ネタバレがあるかもしれない。
古泉の「I love you.」の発音が変わったのは? 天体観測で最初に現れた二機の飛行機は左翼の赤色灯が光っていなかったが、それに意味はあるのか? 古泉のビキニは何か意味があるのか? ビームを受ける零号機の気持ちとは? 零号機のコアは旧劇版と同じくナオコのものと考えていいのか? 夕暮れの長門、前回は発狂気味のBGMが流れていたが、今回は全体的に抑え気味だったのに意味はあるのか? 新劇場版で「コア」という表現は出てきただろうか。ダミーエントリーを拒んだのは、ゲンドウによればユイであったと考えていいが……。
一つの地球があって、そこでは一人の人間が、他の地球で他のそっくり人間によって見捨てられた道を歩いている。彼の人生は天体ごと二分される。そして、二度目、三度目の分岐を行い、何千回も分岐する。彼はそのようにして、完全に瓜二つの自分と無数の瓜二つの変種(ヴァリアント)を手に入れる。この変種の方は、彼の人格を絶えず増殖させ、再現するけれども、彼の運命の切れっ端しか獲得できない。この地上で我々がなりえたであろうすべてのことは、どこか他の場所で我々がそうなっていることである。無数の地球上に存在する、誕生から死までの我々の一生のほかにも、他の何万という異なる版の我々の一生があるのである。
『天体による永遠』ルイ・オーギュスト・ブランキ - 関内関外日記(跡地)
ブランキのコピー、ループは全宇宙に開放されている。一瞬即永遠、一即多、多即一だ。しかし、エンドレスエイトのループは悲しい。悲観的に有限。常に上書きされ、消される過去の、何万の彼ら。その先もない何万の彼ら。とはいえ、無限のコピーである我々が、ほかの我々の存在を認知できぬのは、消されるのと同じではないのか? 宇宙の我々にメッセージを送れるか? 記憶の残滓にメッセージは込められるのか?
このようにして、それぞれの惑星のお蔭で、すべての人間は、自分の人生と全く同じ人生を送っている数限りない自己の分身を、この宇宙の広がりの中に持つことになる。彼は現在の年齢の自己だけでなく、彼のすべての年齢時における別の自己という形でも、無限かつ永遠なのである。彼は現在の一瞬ごとに、何十億という誕生しつつある瓜二つの自分、死んでゆく自分、また誕生から死までの生涯の一瞬ごとに並んでいるすべての年齢の自分を、同時に持つのである。
『天体による永遠』ルイ・オーギュスト・ブランキ - 関内関外日記(跡地)
もしも誰かが、宇宙の幾つかの地域にその秘密を尋ねるべく問いを発したら、彼の何十億という瓜二つ人間も、同じ考えと同じ疑問を持って同時に空を仰ぎ、目に見えないすべての視線は交差する。そしてこの沈黙の問いかけが宇宙をよぎるのは一度きりではなく、常時なのである。瞬間ごとの永遠が今日の状況を、すなわち、我々の瓜二つ人間を載せた何十億という瓜二つの地球を眺めてきたし、これからも眺めるであろう。
火星人というのは遠慮がちな人種なのか? ガニメデには優しい巨人が住んでいるかもしれない。俺が感嘆していたのはキョンの暗算。今回、ケータイ電話を使ってくれて、俺は安心した。
朝起きたら、『消失』だった、というのはどうだろうか。長門の我慢の限界が、ここで炸裂すればいい。夏休みが終わって、学校に行ってみたら、消失してたんだ。さあ、どうだろう。それなら納得できないか? 俺は、少なくとも、原作の終わらせ方より納得できる。あと、何回放送するのだとか、何か事情があるのだとかいうことは知らない。俺は、アニメについては「あらためて」(!)放送のこの回までと、原作は一巻から読んで『暴走』まで読み終えたところだ。やはり『消失』はクライマックスではないのか。その後の、肯定してしまうキョンの意義とは……。それとも、その分だけ、失われていく、のか?
ところで、エンディングに映ってる掲示板なんだけれども、「文芸」(文藝?)の欄に、
「復活しました。
興味のある方は
水曜・放課後図書室へ」
とあるように読めるが、これはなんだろう。文芸部室ではなく、図書室? この校舍は、いつの校舍? この先の(俺の未読の)エピソードに関係あるの? ないの? 全部あやしいぞ、全部見るんだ。お面のこちらがわの視点は誰のものか? 時計のこちらがわの視点は誰のものか? アニメーションには、「偶然映りこむ」ことなんて、ほとんどないんだ。すべては意図だ。小説も意図だ。俺はいまだに、原作の「ハルヒのセリフにどこかにそれがあったはずだ」の答えに納得していないし、アニメ版でそれであることにも納得しないんだ、たぶん。それじゃあ。
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- y[Wª èܹñ……よくわからんよう。
- 今日もやられやく - FC2 BLOG パスワード認証……「ネットやってないでハルヒを楽しみにしてる人はどんな気持ちなのだろう」と書き込みにあるが、はたしてどんな気持ちなのだろう。俺は、たまたま深夜テレビで見て、次の週も、その次も見て、でもアニメ雑誌も読まず、友人にアニメ好きもおらず、ネットもない時代だったら……、まあ見つづけることはだけはたしかだろう。
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