被写体心度零距離写撃


 俺の父は写真趣味で、よくわからない高いレンズなど買っては家族を暗澹たる気持ちにさせていた。写真もよく撮った。家族旅行などに行くと、父の写真待ち、のような時間がよくあった。家族のスナップなどはあまり撮らなかった。建築物や植物をよく撮っていた。それで、あからさまな民家なども、気になるなにかがあると車を停めて、バシバシ撮り始めるのだ。俺はそれがどうも嫌だった。その家の人が出てきてトラブルになったらどうしよう、とか、プライバシーみたいのはどうなんだ、とか。
 そういうことを言うと、父は「目に見えたものはすべて写真に撮ってよいものだ。撮られたくなければ隠しておけ」などと言ったものだ。また、「公園を撮ってこいと注文して、風景ばかり撮ってくるカメラマンは駄目だ。人間を撮らなければだめだ」などとも。
 そして、花月園に行って、俺が本当に撮りたいのは赤競を売ってる屋台のおばちゃんや、モツ煮込み屋のおっさん、みかん売ってるばあさん、そしてドブねずみ色の競輪者たちなんだ。
 だが、俺にはそれができなかった。できない。やはり俺は、競馬場などで他人に写真を向けてはいけないことが刷り込まれている……いや、街中でも同じだ。やはり、知らぬ人を至近距離で撮ることはできない。藤原新也が書いていたっけ。くわしい文言は思い出せないが、カメラが消える瞬間、殴られる距離、なんとか、かんとか。
 俺がカメラというものに能動的になったのは、今年の二月から。さて、まあどうなることか。どうも、カメラというより、人間との距離感の話になるのか。よくわからない。