記憶への不信 『メメント』/監督:クリストファー・ノーラン

メメント/スペシャル・エディション [DVD]
 今さらといっていいであろう、『メメント』を観た。なぜ今まで観ていなかったかといえば、「10分しか記憶がもたない」という前向性健忘のギミックと、刺青メモのビジュアルで、「なんとなく観た気になっていた」からだ。ただ、『インセプション』を観た以上、これも観ねばというところ。
 で、すげえね。なんとなくギミックから予想していたものより、もっとひねくれててすばらしい。記憶喪失でなく、記憶そのものへのアプローチのようなところがある。記憶は記録ではない、のだ。そしてまた、記憶というものへのある種の不信感は、俺の中にものすごく強くあるものだ。
自分の自覚と記憶を信頼できないということ - 関内関外日記(跡地)
 俺は俺の記憶にえらい不信感をいだいている。つねに、都合のいい捏造ではないかと疑っている。たとえば、目の前で俺の大切な女の人が殺されてその犯人をしっかり見ていたとしても、時間が一日経ち、二日経ち、一週間経つ間に、俺は俺が犯人を見たことを信じられなくなるだろうし、下手すればそれを自己保身のための嘘だと思って、「自分がやりました」などと言ってしまう可能性すらある。それは想像にしても、もっと細かなこと、小さなことについて、俺は俺が信用できない。
 だから、刺青がわりに、こうやって日記を書く。たとえば、ひとつ前の自転車の記事で俺はこう書いた。

 と、バルブキャップ外してピンときた。これ、突発的なのじゃねえみたい。あれだ、前にも書いた……と思ったら書いてなかったんだけど、バルブ頭のところがちょっと曲がってたんだよ。

 この「書いてなかった」に、俺はえらく動揺しているわけだ。まったく。まあ、俺ばかりでなく、誰にだってあやふやな記憶への不信はあるだろう。そのあたりを、『メメント』は極端な形で現してみせたようなところがある。もちろん、メモも不確かで不正確だってこともだ。