1月も早々に年度末がはじまってしまって意外な気がした。去年は3月の大地震もあってあいまいになってしまったが、それほど忙しくなかった。妙な話ではある。どこか自分の知らないところで同業他社が死んでこちらに仕事が流れてきているのか。しかし、いずれにせよ薄利で命をすり減らすだけの仕事。心臓か脳が焼き切れて死ねばいいのにと思うが死ねない。あの会社が潰れてくれれば助かるのに、という会社は生きている。
思ったより死ねそうにないというのがおそろしい。生や生活への執着というものの大きさを実感せざるをえない。おれ程度の脳の調子の悪さでなにか手をさしのべてもらおうと思うのは甘い考えにすぎないし、身体の方は非力だが悪くもないので甘えにすぎない。最後のところで努力しなくてはならないところがやってくる。俺は努力がなによりも嫌いだが、生や生活への執着から努力してしまうかもしれない。そこでいよいよ脳や心臓が焼き切れてくれればいいのだけれども、思うようにはいってくれないのだろう。要は自分で死ぬ勇気がないんでしょう。
いくらか薬物で脳内の神経伝達物質の調子を整えて、睡眠障害も補正して、なんとか動いている。君は内心に抱えているものが危険なのでSSRIは食べないほうがいいだろうと医者に言われた。副作用のことですね。仕事が落ち着くのはいつかと聞かれ、年度末いっぱいは忙しいと言った。認知や人格については薬ですぐに治らないと言われている。時間のかかることだと。とりあえず今は、働かなくては薬も買えないし飯も買えず死ぬしかないので、暫定的に薬を食べて、動いている。日銭を稼いでぎりぎりのところで生きていなかければいけないのは、俺の妄想でも何でもなく、オンラインで普通預金口座の数字を読めばわかる客観的な事実だ。妄想ならば救われる。
生活とパニック障害的な症状が落ち着いたら、なにかこの投薬以外のことをする、そういった段階に進ませたいようなのだけれども、その段階が来るかどうかわからない。正直なところ、蓄えがない。時間がない。とりあえずの止血だけして戦場に戻って、そうしないと金がないという督戦隊に殺されるし、野戦病院と行き来して、病院には行けない。体中に弾丸が打ち込まれ、内臓もはみ出て、薬の量は増えていく。だが、どこか自分の知らないところで、あるいは帝国データーバンクの訃報欄で、本当に死んでしまった連中が山ほどいるし、俺よりもっとひどい状態の人間もたくさんいて、どんどん死んでいる。あの外注の、おしゃれな、羽振りのよさそうな、フリーのデザイナーは、週三日、早朝、牛丼屋でアルバイトをしているという。俺の知らない、東京の、おしゃれな世界や、有名なデザイナーの話をしていたのに。俺はまだ恵まれている。俺はまだここに拘泥しなくてはいけない。この場を死守しなくてはいけない。帰り道、1月になって、3件もなにかの店が「空き店舗」の貼り紙になった。安いが仕事はある。少なくとも年度末は、量がある。撃って撃って撃ちまくるしかない。撃ったところで銀行への返済に消えていく。でも、まだましだ。この戸板が最終防衛線だ。これ以外のところに居場所はないし、まったく役に立つ技能がない、才能がない。なのに助けを受けられるほど弱くもない。
やはり、遅すぎたのだし、手遅れだった。その上、人格障害のようななにかを治すのにかかる時間を持つ余裕を貯めておけなかった。俺が努力より嫌いなのはコミュニケーションなのだし、もうこれ以上だれかの負担になるのはごめんだ。だから、単独で無敵で最強にならなくてはいけない。ワンマンアーミーにならななくてはいけない。最強で無敵、最強で無敵、最強で無敵にならなくてはいけない。時間はないのだし、即効でなくてはいけないし、即効で最強で、無敵に、金もかけないで、一発ぶち込んだら、蓮の花が開く、三千世界は梅の花で尽くされて果ては見えない。貧相な歩兵銃を片手に、うぐいすもめじろも撃ち殺してやろう。俺は春が大嫌いなんだ。