世の中は不景気だというけれど

平日、寿町の方からたまに関内やみなとみらいの方に出るとスーツ姿の男たち女たちがザクザク歩いていて世界が違うのかと思う。世の中は不景気だというけれど、だれもが自信たっぷりに歩いているように見える。明日の職にも食にも憂鬱になることなどないように見える。右肩上がりの人生、車やマイホームのことを考えているように見える。世の中は不景気だというけれど。

実のところ世の中は景気がいいのかもしれない。世の中は景気がよくなりつつあるのかもしれない。おれとおれの身の回りが取り残されているのかもしれない。おれとおれのまわりだけが明日の職と食に憂鬱になっているだけなのかもしれない。この寒い冬に、寿町の方にいるゴミ漁りの人になる可能性を考えているだけかもしれない。

だからといっておれの方に景気のよさが流れてくる可能性は存在しない。おれのレールは決まっていて、どこまでも沈んでいくのが決っている。おれは馬鹿じゃあないから、そのくらいのことは見えている。おれは馬鹿じゃあないから、見通しくらいついている。おれはこのあたりの住人にしては珍しく拳銃を持っていないので、包丁でもって「死ぬ前にうまいものを食いたかった」と100円ローソンにでも押し入るのが関の山。そのまま包丁を自分の首のあたりにあてがって死んでしまった方がまだましか。時代劇などで、武士の妻などが潔く短刀で自決するが、あれは覚悟さえ決まっていればうまくいくものだろうか。海の底には都がない、水中は苦しそうだから却下だ。

おれは馬鹿じゃあないから、なんて言ってる気の狂ったおれがたまにスーツを来てザクザク歩こうにもどうしてもちんたら歩いてしまい彼らの仲間になれない。彼らは自信満々で明日の職も職も安泰だ。おらは馬鹿じゃあないから、うまく空き缶を集めて効率よく自転車に山積みできるかもしれない。でも、おれはどこにそれを持って行っていいのか知らないんだ。インターネットで調べればわからのかどうかもわからない。おれは実のところ馬鹿だから、よくわからない。