従姉妹の結婚式に着ていく服がない

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従兄弟の結婚式に着ていく服がない。さらにいえば、包むものもございません、という話である。おれは金がない。花嫁の母であるところの叔母は「祝儀袋だけで、中身は空でいいのに」とおっしゃる。でも、そういうわけにもいかんでしょうが。それになにより、なにかおれのようなものが結婚式のようなめでたい空間に立ち入るのは避けたほうがよいとしか思えない。結局、母経由で「とんだ不義理勘弁つかぁさい」と伝えてくれ、と言った。母が似非広島弁を使ってくれたかどうかは知らない。

ちなみに、父と母の結婚式に、父の友人の一人が祝儀袋の中に「出世払い券」というのを入れてきたという。結局、出世払いを受け取ることはなかったという。いずれにせよ、食い詰める予定はあれど、出世の予定など皆無のおれにはできぬ話である。

そういえば先日、高倉健が亡くなった。おれは直前に高倉健主演の『神戸国際ギャング』という映画をDVDで観たばかりなので少し驚いた(このダボがぁ!『神戸国際ギャング』を観る - 関内関外日記)。驚きは続き、おそらく数多くはない共演であろう、同じく『神戸国際ギャング』のもう一人の主役である菅原文太が亡くなった。さらにはジャパンカップで本命にした馬が故障し、安楽死になった。

すべておれと因果関係のないことである。今の時代、そこになにかを見ようとするのは不合理的であり、病的である。しかしどうもおれはよくないというのだ。おれの世界を構成する鹿のようななにかがそう告げる。鹿せんべいを食いながら「おまえはおまえの不幸ゆえに不幸をふりまくものでもあるのだ」と言う。おれのような病原菌が幸せを目指す進水式に立ち会ってはいけない。Man the ship and bring her to life. 

こうして無円のおれはますます無縁の人間になっていく。無縁はおれの望むところではあるが、いざというときの助け舟も期待できなくなっていくということだろう。貧しさというものは金だけの問題であるとおれは思うが、金以外の問題も金に絡み合い、そしてむなしい人生と虚ろな死ばかりが待っている。おれには死ぬときに着ていく服はあるだろうか?