わが内なる革新と保守

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またまた寄稿いたしました。よかったらお読みください。労働の価値観と、労働者の内なる個人的共産主義についてです。

ここで「共産主義」というのは、経済的なそういうのではなく、べつの言葉では「操作主義」と言っていますが、まあなんというか、「理論に基づいて社会を操作すれば進歩する」的な、「科学によって経済をコントロールすれば豊かになる」的なものでしょう。

すなわち、内なる個人的共産主義とは、ビジネス書を読んだりして勉強したり、セミナーに出たり、そうやって自分を高める(操作する)ことで、成果が上がっていくぞ、という考え方になります。

おれの雑な革新と保守の認識でいうと、革新というのはそういうタイプであって、理論、科学、それによる社会改造、進歩という感じ。一方で保守はというと、人間はそんな正解を導き出すだけの賢さはないから、前例でよろしくやっていたことを一変させないで、ちょっとずつ改良していこうや、という感じ。

……というか、この雑な認識以上に緻密な思想は持っておりません。

でもって、これは相反するようであって、革新とて前人たちが築いてきたものの上に現状があって、一方で保守といっても社会の改良や進歩を否定するわけではない、ですよね。

というわけで、いざ「政治」となると、革新と保守、保守と革新がぱっきりわかれるようなところもあるわけですが(中道左派中道右派とかもありますが)、まあ、実際はグラデーションで人類ここまで来たのかなとか思っております。

で、個人ではどうなんでしょうかね。

あ、おれ、おれはというと、政治思想ではなく個人の、人格、人生、そういったものについて、完全に保守です。まず、理論がねえし、科学がねえ。計画をたてる気力もねえし、自分を進歩させたいという思いもない。そして、なにも変わりたくない。家での生活から幼稚園に行くのも泣いて嫌がったし、幼稚園から小学校に行くのも嫌だった。確実にこの延長線に今がある。

というわけで、この日記を長く読んでいる少数の読者のなかには「なんでこの人は転職を考えないのだろう」、「勉強したり、資格を得ようとしないのだろう」、「劣悪なアパートから引っ越そうとしないのだろう」と思う人もいるかもしれない。

それはもう、我が内なる保守主義……って表現すると「総括しろ!」とか連合赤軍の声が聞こえてきそうなので、まあ、なんというか、「とにかく生活の変化を嫌う主義者」なんだなと思ってくれていいです。

でも、これが政治の方の話になると、どうもそうでもないのが不思議なところで、極左とかアナーキストに惹かれるところがある。とくにアナーキー。自分にないものを求めているのかもしれない。

となると、逆に自己操作に長けて、自己実現している人などは、政治的には保守に惹かれたりするのかな。あ、なんかそんな感じもする。

……などと雑な認識からさらに雑な認識に至りましたが、皆さまにおかれましては内なる革新派なのか保守派なのか、政治的にはどうなのか、まあたまには考えてみても面白いんじゃないでしょうか。え、とっくに考えてる? そりゃまた失礼。

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