ネットからの途絶が意味するもの

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会社の光回線が、逝った。金曜日の夕方のことだった。NTTの修理の人がくるのは火曜日だという。月曜日は、光回線なしで過ごさなければならなかった。

光回線。電話も、ひかり電話だった。なので、電話全滅。FAX全滅。

ネットはどうか。ネットは細い線でつなげた。スマートフォンテザリング、これである。おれのiPhone。おれのギガ。おれは日頃テザリングを使用していなかったので、どれだけ削られるかわからなかった。おれのiPhoneはだいたい家のWi-Fiと会社のWi-Fiに浸っていて、自らの(?)力を発揮することはなかったからだ。

とりあえず、おれのiPhoneが細い糸。これで、どうにかしのいだ。電話はつながらない。どうしても、という人は会社のサイトの「お知らせ」を見て、「ああ、光回線がいっちまったんだな」と思ってもらうよりない。

それにしても、この心細さよ。なんとなく、データ転送量は頭の中にあっても、いきなりギガが激減するんじゃないかという恐怖があった。実際のところ、朝から終業までで3%の減りだったが、それが多いのかどうか。いや、それだったら30日持つだろうという話だが。

さて、明日はNTTの復旧作業員の人が来てくれる。直るのか、どうか。わからない。おれは悲観的だ。くそ古い建物の回線が逝ってしまっているのではないか、という思いがある。

その場合はどうする。一時的に、コンセントのWi-Fiを導入するというのが一手ではないか。それ以外、あまり考えられない。場合によっては違約金などを支払う必要があるかもしれないが、私用のテザリングよりはいいだろうし、今後のバックアップにもなる。

ただ、電話はどうなる。これが問題だ。「電話のない先進的なオフィス」というようなものが、IT企業などであったような気もするが、ここは先進的なITオフィスでもない。電話は必要だ。これはどうなるのだ。光ではない電話回線に戻せるのか。コンセントのWi-Fiのような一時的な対応はありえるのか。わからない。すべて光にというのはNTTの方針でもあると、社内の通信関係を請け負ってくれる代理店の人は言った。

まあ、それにしても、ネットに無制限的につながることが「できない」ということの心理的影響よ。これは思いのほか大きかった。ちょっとしたことをネットで調べることもできないし、ちょっくらはてなブックマークでも見て息抜きということもできない。ストレスだ。

こんな軽いストレスならまだいい。以前、無料Wi-Fiスポットを求めて歩く家なき人たちのドキュメンタリーを見た。切実なギガ。日雇い労働にありつくためにも必要なギガ。

さらに切実な問題で言えば、今のウクライナなどを想像してしまう。スターリンクによって、明日全滅してしまうかもしれない部隊の司令官がメディアに出てくる。市民によってその被害が世界に伝えられる。ネット環境がなければなされないことだ。これは、大きい。この戦争がどう終わるかわからないが、バイラクタルやジャベリンに並んで、スターリンクの影響が語られることになるかもしれない。

おれが、ちょっとした職場の回線障害で、それらを感じたというのはおこがましい。とはいえ、自宅アパートに帰って、Wi-Fiにつながったときの安心感というものは、たしかにあった。この現代、ネットに自由につながっていることの大きさを感じずにはいられない。まずい言い回しを使えば、「人権」に近いのではないか。そんなふうにまで思うのであった。

身体は拡張されて、ネットへの接続が当たり前になっている。障害もないのに義体を選ぶ時代はまだまだ先だろうが、いずれにせよネットへの接続だ。そればかりが、たいへんに、基本的なことのように思える。