優雅で丁寧なベトナム料理店

祝日の上の駅はそこそこに混み合っていた。駅ビルで昼食をとるのはたいへんだ。

わたしたちは公園口と反対側に出た。

 

しばらく歩く。最初に目的としていたのはハリマ・ケバブ・ビリヤニという店で、ビリヤニでも食べようかという話だった。以前一度行ったことがあって、とてもおいしかったのを覚えている。

 

しかしながら、女の人が言うには、数日前にインド・ネパールカレー屋に行ったばかりだという。カレーとビリヤニでは違うが、じゃあ違うところに行きますか、ということになった。

 

携帯端末のマップ機能を使うと、ビリヤニ屋の向かいにアジア料理の店があるようだ。ホテルの一階のカフェ・レストラン。豆なダイナー? 評判も悪くない。そっちにしますか。

 

目的地あたりについた。違うベトナム料理店の看板が出ている。似たような店があるのか。ここは弘明寺ですかね、などと言う。が、何歩か歩くと、マップは通り過ぎたことを示めした。

 

「あれ、やっぱりさっきの店が」と、振り返ってみれば、建物はたしかにホテルだ。店が変わったのだ。まだマップにもレビューサイトにも反映されていないことだった。まあ、当初の目的と同じようなものだからここにしましょう。

 

入ってみると、店内にはカウンターとテーブルが三つ。カウンターに人はおらず、テーブルは二席埋まっていた。こちらが二人であることを伝えると、カウンターの中にいたお兄さんが、二人がけのテーブルにどうぞ、と言った。

 

「先に注文をお願いします」とベトナム人であろうお兄さん。

「ペイペイとか使えますか?」

「すみません、開いたばかりで、現金だけです」

「じゃあ、一番のセットと、四番のセットで」

 

席に戻る。と、またお客さんがやってきて、外の席を使いたいむねを伝える。また、現金で注文を受ける。わたしたちは席で待つ。

 

待った。キッチンの様子が見える。先ほどのお兄さんが一人で料理をしている。あちこちと歩き、盛り付けをし……。ワンオペ、ではないか。見てみれば、カウンターに食事済みの食器が何個か置かれている。

 

お兄さんが、カウンターに二つお盆を出す。わたしたちの注文かと思う。違った。先客のものだった。二つ隣なのでよく見えないが、小さな赤ん坊を連れた夫婦らしい。食べ始めると、すぐに「おいしい!」という声が聞こえてきた。

 

わたしたちは待った。すると、カウンターの中から声がかかった。

「バインミーにパクチーが入りますが、大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

まだ、バインミーにパクチーを挟む工程に入っていなかった。

 

なにか、とりとめもない話をして、待った。お兄さんは一人で、丁寧に料理をしている。わたしの席からはそれが見えた。わたしはそれを見ていた。

 

隣の席のお客さんが、食べ終えた皿をカウンターに置いた。

「ごちそうさま」

「ありがとうございました!」

 

ついに、一つのお盆がカウンターに置かれた。完成だ。しかし、一つ、女の人のほうの注文だ。おれのバインミー定食。

 

「バインミー、すぐにできます」

「はい」

 

しばらく待った。ようやくご対面である。

 

バインミーにハーフサイズのフォー、生春巻き二つ、そして謎のデザート。

 

フォーを食べてみる。スープを飲む。丁寧な味がする。弘明寺あたりの味とは違う。上品な感じがする。盛り付けなど見ても、丁寧だ。丁寧に作っていただけはある。

 

バインミーにかじりつく。パンの歯ごたえに、野菜と肉。こちらもいい。この店は、おいしいのではないか。

 

「おいしいですね」

「フォーのスープがおいしい」

 

そんなことを言い合いながら食べていたら、ドアが開いた。先ほどの、外のテーブルのご婦人だ。

 

「テーブルを拭くものをくれませんか?」。

 

そういえば、外で待っている人がいた。ひょっとしたら、自分たちの存在が忘れられたのではないかと気になって入ってきたのではないだろうか。

 

お兄さんは丁寧に個別包装のウェットティッシュと台ふきんを渡した。また、丁寧に料理にもどった。

 

また、ドアが開いた。祝日なのにスーツ姿の若い男性が三人入ってきた。初めて入ってきたようだ。お兄さんは愛想よく対応する。

「先に注文をお願いします。現金でお願いします」

三人は迷いながら、それぞれ注文を聞き、お金を払った。

 

お兄さんはまた、丁寧な料理に戻った。まだ、外のご婦人には料理が提供されていない。この三人にはいつ料理が提供されるのだろうか、心配になる。

 

すると、二つとなりの夫婦が食事を終えた。またカウンターに空の食器が増えた。

「とてもおいしかったです。ここのメニュー、全部たべたいくらい。またきますね」

というようなことをお母さんが話しかける。

お兄さんは丁寧に答える。

話は少しつづいた。

 

夫婦が出ていくと、お兄さんは丁寧に仕事にもどった。

 

わたしたちの食事も終わった。さて、出ましょうか。……しかし、もうカウンターに食器を置く場所は残っていなかった。一応、お盆を持つそぶりをみせる。すると、カウンターの中からお兄さんが声をかける。

「そのままで結構です」

「ありがとうございます。ごちそうさまでした」

 

わたしたちは店の外に出た。

 

「上品でおいしかったですね」

 

そんなことを話しながらわたしたちは上野駅に戻った。丁寧で、上品なお店だった。おいしかった。しかし、オペレーションには問題があった。店の外観の写真を撮るのも忘れたし、店の名前も覚えていない。

 

店の外には料理を待つご婦人たちがいた。店内には三人。そして、たくさんの食器。