「健康的な生活をすると健康になる」というトートロジーについて

 

寄稿いたしました。

blog.tinect.jp

「筋肉はすべてを解決する」というフレーズに対して、そんなことねえだろと思っていたけれど、なんかちょっとちょこざっぷ行って筋肉がほんの少しついたら、なんとなく「筋肉は……解決する?」とかちょっぴり思い始めた人間の記録です。記録とかたいそうなものじゃないです。ぜひお読みください。あと、「筋肉はすべてを解決する」に元ネタあったらあっちにブコメして教えてください。

 

<※追記>

あっちのブコメで教えていただきました。

ちょこざっぷで運動する習慣がついてから、抑うつで寝込むことが少なくなってる……ような気がする

「筋肉はすべてを解決する」の元ネタはおそらく2016年4月20日放送「ガッテン」より、「結果にコミットー! 効果2倍の筋肉アップ術」の画像と思われる。 <a href="https://watchtvprogram.blog.fc2.com/blog-entry-651.html" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://watchtvprogram.blog.fc2.com/blog-entry-651.html

2023/12/26 20:21

b.hatena.ne.jp

実はその画像自体、上の記事にリンク貼ったtogetterの記事で見かけたのだ。でも、ただ一枚貼ってあるから、「コラかな?」と思っていた。でも、教示いただいたリンク先読むと、放送された番組の一連のキャプチャのようで、最後の一枚だけコラにすることもなさそうなので、これが元ネタといっていいだろう。ただ、広がりすぎて「~的ネタツイ」みたいになったのだろう。

</※追記>

 

で、なんだろうか、筋肉を鍛えるくらい元気ならばもとから元気があるのだろう、というような見方もできる。そういうのはある。「健康的な生活をすると健康になる」というたぐいのトートロジー。

 

それに対して「不健康だから健康的な生活なんてできねえんだよ」という思いは常にあった。「規則正しい生活ができな体質だから規則正しい生活なんてできねえんだ」とか、「運動できないから、運動できないんだ」みたいな。おれなんかは精神障害を持っているが、そうでなくともそう思う人は多いと思う。

 

でも、あれなんだよな。おれの障害は調子の浮き沈みがあって、浮いているときにちょこざっぷに通うことはできた。なんとか続けられている。すると、なんだ、好転する。「運動するようになったから、運動できる」、「健康的な生活をしているから、健康になる。このサイクルに入るようになる。

 

むろん、おれがいますげえ健康体かといえばそうではない。ちょこざっぷも週三回のペースから二回になっている。冬って体動かすのが面倒になるし、服とか考えてちょこざっぷ行くのも面倒なのよな。あと、減酒はしているけど、週末は多量に飲んでしまうし、そうでない日にもついつい飲んでしまうこともある。それでもまあ、毎日多量飲酒に比べたら、週に二日とかノンアルコールの日もあるのでマシにはなっているとは思うが。

 

まあとにかく、おれは「健康的な生活をしているから健康になった」という段階ではない。そこまで行っていない。筋肉はまだすべてを解決していない。ただ、運動を始める前よりはマシになっているという感じはある。

 

というわけで、ちょっとどうにかしたいな、という人には、「できないからできない」というサイクルから、「とりあえず、ちょっとからでもいいから、やりはじめてみる」という、これもまあ当たり前のことを勧めるしかない。そういう変化は外からやってこない。やり始めなくては始まらない。子供であれば、「親に強制的にスイミングスクールに入れられた」とかあるかもしれない。大人になると、自分で始めないとちょっとそういう機会はない。

 

なので、まあ、ちょっと始めてみる。とりあえずちょこざっぷに登録してみるとか、ウォーキングシューズを買ってみるとか、ウェアを買ってみるとか、スポーツサイクル(ジャイアントのクロスバイクとか)を買ってみるとか、なんかちょっとした変化を求めるしかない。

 

それを持続させるのはどうするのか。これももう、いろいろなコツが世間で語られているだろうが、嫌々ながらでも、それを自覚しつつやるしかないかもしれない。習慣化させる。おれは惰性で生きている人間なので、だらだらと競馬をやるし、だらだらとカープを応援するし、だらだらと酒を飲むし、だらだらと毎日同じスーパーで買った食材で毎日同じような自炊をしている。そういう、だらだらの惰性のコースに乗せることよな。惰性で筋肉がつくかしらんが。

 

あ、あと、こないだラジオから聴こえてきた、誰か知らない人の言葉。ジム通いを続けるには、「今日はプロテインだけ買って帰ろう」とか「シャワーだけ浴びて帰ろう」とかでいいから、とにかく行くこと、だという。

 

行ったら行ったで、まあせっかくだからと運動するかもしれない。本当にプロテインだけ買って帰っても、ジムへ行くことへの面倒臭さを一回潰して、習慣化へ一歩進むかもしれない。

 

ああ、そういうもんだろうな、と思った。ちょこざっぷではプロテインを売っていない(無人販売コーナーがある店舗もあるらしいが)し、シャワーもない。だからなんだろう、「今日はもう着替えもしないで軽い負荷でマシン二つだけやって帰る」くらいで行く感じ。行ったら行ったで、せっかく来たからあれもやるか、で、結局一通りやったりする。

 

というわけで、おれが人に運動習慣や健康的な生活を説くのは千年早いが、いま、「最初の瞬間のちょっと小さな変化」を感じているので、これを継続したく、明文化して、こうして記す。あなたはあなたで好きにしてくれ。

 

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人間生きていると、「最後の瞬間のすごく大きな変化」と「最初の瞬間のちょっと小さな変化」のどっちを多く感じるのだろうか。おれはもともと「変化」自体が苦手で、避けて生きるようにしているのだが。

 

 

とりあえずプロテイン買うというのはありかもしれない。

 

どんなんでもいいから、格好から入るというのはある。べつに高いやつじゃなくてもいい。とにかく、こういう格好をして、歩くのがいい。走るのはダメージが強い。普段着で歩いていると、なんかなんで歩いているのかという気になるが、音楽でも聴きながら、こういう格好で歩いていると、「ウォーキングしているのだな」と人は思うだろうし、自分も思えるだろう。べつに「ジョギングのあとのクールダウン中ですよ」という顔でずっと歩いていてもいい。