おかしい……おかしいのでは?……おかしいんじゃないかなあ?……と思っているDTP従事者の愚痴を書く。適宜、(と、Photoshop使っている人間には思える)を脳内で補完しつつ読んでほしい。
たとえば(いきなりたとえ話をすると話が滑っていくのは承知で書くが)、次のようなことを言う人がいたら、だれもがおかしいと思うだろう。
「時速と分速ってどっちが速いですか?」
そんなものに答えはない。答えようがない。一般的に使われている「解像度が高い」、「解像度が低い」はこれと同じことを言っている。わかってくれる人はこれだけでわかってくれるかと思う。

解像度はpixcel/inch(ピクセル・パー・インチ)の値だからだ。
だが、一般的には次のように考えられている。

これが、

こうなったら解像度が高まった。戸崎圭太の乗ったフリオーソだとわかるようになったと。
あるいは、

これが、

こうなったら解像度が上がった、と。
しかし、ここで変わったのは「画像のサイズ」だ。解像度ではない。
同じ実寸のときに解像度72ppiの画像と350ppiの画像では、350ppiの画像のほうが大きい。しかし、それは72と350の数字の差ではない。実寸時のピクセルの数字の差だ。情報の絶対量の差だ。
クライアントから「ウェブサイトで使っている画像データを印刷に使ってくれ」と言われたら、それをPhotoshopで開いて、イメージ→画像解像度から、再サンプルのチェックを外した状態で、解像度を72ppiから350ppi(おれの仕事では150ppiが多いが)にしてみて「幅7cmくらいまでなら使えます。もっと大きく使いたいのであれば、元データをください」とか、そういうことになる。「え、モニタではもっと大きいのだが?」と言われても、情報の絶対量が幅1000pxであれば、だいたいそういうことになるのである。
(え、最近はAIの力で再サンプルで解像度を高くしたらきれいにアップサイジングしてくれるのでは? とかいう意見は無視します)
だから、解像度が上がった、解像度が高まったという、一般的な、あるいはビジネス用語的な使い方はおかしい。おれが職業病的に感じている違和感はおわかりいただけただろうか?
……といって終わりたいところだが、異業種の人からこんなことを言われたことがある。
「スキャナーでサイズを決めるときに100dpi、300dpi、600dpiとあって、100dpiより600dpiの方がサイズが大きくて鮮明なのだが? あと、ppiとdpiって?」
「解像『度』だからというが、速『度』であれば、問題なく数字が高ければその方が速いし、温『度』であれば数字が高いほうが熱いのではないか?」
それはえーと、ドット・パー・インチで、それはべつあれなんだけど、スキャンする元の実寸というものがまずあって……、それで、「度」という語は……。うーん、解像という言葉はそもそも……えーと、それじゃあ「解像力が高い」ならいいのでは? いや、解像度が高いってべつに間違っていない? そもそもおれ自身、おれが扱っている分野の解像度という言葉についての解像度は適正なの……?
よくわかんねえや。
「定着してしまった元・誤用」の言葉なんて山ほどあるしな。言葉は変わるものだ。とはいえ、変わった新しいほうが正しい、良いとは限らないし、古い用法で使いつづける人間がいるのも、また大きな意味で変化のうちだ。
というか、言い訳つきとはいえ、おれも「解像度」使っちゃってるしな。便利な言葉だ。認めざるをえない。たとえば、「敷居が高い」なんて言葉も、新しい意味のイメージにぴったりに見える。そういこともある。
だからまあなんだ、好きにしろ。おれもそうさせてもらう。
以上。