「今朝見たホームレスは素足にサランラップを巻いていた」と書いた方が通りがいいだろう。しかし、おれにはそのラップがサランラップかどうか判断しようがないので、正確性を重視した。
サランラップ(またサランラップと書いてしまった)を身体に巻き付けるというと、そんなダイエットがあったっけな? などと思う。おれが自分で自分の髪を染めるとき(美容院で髪を染める金はない)は、頭にサランラップを巻く。
あるのだろうか、保温効果。あるいは、風の直撃を避ける効果があるのかもしれない。
今朝見たホームレスは素足にサランラップを巻いていた。サンダルを脱いで足を掻いた。台車かなにかわからいものに、山ほどの荷物を積んでいた。荷物が山ほどあったので、台車かリヤカーかなにかさっぱりわからなかった。
いつ、ああなってもおかしくはない。近頃の若いホームレスは、一見してわからないほど清潔だというが、おれがすみかを失ったらそうしているだけの余裕があるだろうか。
それとも、生きることを続けるということを続けるだろうか。
幸いにして、いまのところ仕事がないわけじゃない。去年の緊急事態宣言のときは、本当に仕事が消失して、このまま世界が終わるんじゃないかと思ったくらいだった。ところが今回の宣言下では、なにか普通に社会が回っているように感じる。
もちろん、観光、飲食、その関連企業など、冗談じゃないよ、回ってないよ、という人たちもいるだろう。ただ、少なくともおれの接する小さな世界、小さな業界、小さな会社には、それなりに動きがあるということだ。もちろん、こんな事態になる前に比べたら暇なものだが、それでも全くの暇、開店休業ということにはなっていない。
今日の新規感染者は何人になるのだろう。しかし、それにしても、みんな東京の数字ばかりを追いかけて、なにかちょっと偏りすぎているような気がしてならない。この国が東京に一極集中しているというのはわかっていても、あたかも全国の数字のように扱われていないだろうか。全国の数字で一喜一憂してもいいんじゃないのか。いや、一喜一憂する必要はないのだろうけど。
100円ローソンでネックウォーマーを買った。今日はマフラーをしてくるのを忘れた。おにぎり一個と同じ値段のネックウォーマー。今日の帰り道から使い始めて、その後は部屋着の一部として使用される予定だ。
昨冬、おれはやはり100円のネックウォーマーを2つローテーションで使っていた。しかし、今冬になってみるとその2つとも見当たらない。ここまで部屋着にネックウォーマーなしで過ごしてきた。2つともどこに行ったのだろうか?
たぶん、捨てたのだ。なにせ、その2つのネックウォーマーを買ったのがいつだったか思い出せない。けっこう、ボロボロになっていたはずだ。なのでおれは、捨てたのだ。ただ、そのときに、「次の冬のお前よ、100円ショップでネックウォーマー買うのだ」というメモを残さなかっただけのことだ。
安いものを短く使う。高いものを長く使う。どっちでもない。安いものを長く使う。貧乏人が生きる道だ。
部屋着のおれはまるで家がなくて外で寝ている人のような厚着をしている。ボロボロの二軍どころか三軍、四軍の服を重ね着している。サランラップは巻いていない。
またサランラップと書いてしまった。