7.19 みなとみらいへ

このきわめて非人間的な偏見、この獣じみた情熱を、臆面もなく利用しています。

彼らはそういったものを利用していますが、自分自身はいささかも信じているのではないのです。ただ、それらを利用するのに利益があるからにすぎないのです。

坊主は例の宗教的愚昧を説きますが、夫子自身はそれを信じているわけではない、ただ人民大衆がそれを信じ続けているほうが、特権階級の利益に明らかに合致するにすぎないのです。

 議論も論証も種切れになると、『ジュルナル・ド・ジュネーヴ』誌は、やおら開きなおってこう述べたてるのです。―それは外国のもの、外国の思想、外国の人間だ、と。こうした雑誌は、同国人に低い評価しか与えていませんから、外国のという恐ろしい言葉を吐きさえすれば、彼らは常識も人間性も正義もいっさい忘れて、自分たちのほうに味方するものと、たかをくくっているのです。

社会全体を人間化するためには、個人のうちに悪の伝統を生み出すようないっさいの原因を、また経済的、政治的、社会的条件を容赦なく破壊することが必要ですし、またそれらにかわって、この同じ諸個人のうち、善の慣行や習慣を必然的にもたらすような諸条件をうちたてなければいけません。

国家が存在するかぎり人間の友愛の実現は不可能なこと、また、階級が真に消滅するのも、各個人の政治的、社会的平等化が実現するのも、経済的手段や教育、労働、生活が万人にとって平等化することを通してしか可能ではないこと

即時かつ直接の目的として経済的平等を掲げないような政治革命は、すべてみな、人民の権利および利益の観点から見ると、偽善的で、仮面でかくされた反動にほかならない

ブルジョワジーは、理論によってというよりはその行動によって、物質的利益の礼拝を、より正しくはその尊重を説いたのであり、それによって人類に最後の奉公をしたのだ、と。実際のところ、物質的利益は、この世で常に圧倒的な意味を持ってきたのです。ただそれは、これまで偽善的で不健全な観念論によておおいかくされており、かえってそのために物質的利益は有害で邪悪なものに変形させられていたのです。

食人の風習の後、奴隸制が登場しました。奴隸制の後、農奴制が、農奴制の後、賃金奴隸制が登場しました。

人間は物質である以上、物質を軽蔑して罰を受けないでいることはできない。人間は動物である以上、自分の動物性を根絶することはできないのです。しかし人間は、自由によって、つまり正義と理性とを結合した行為を通して自己を変革し、人間化することができるのであり、またそうすべきなのです。

―文章は、バクーニン『ロークルおよびショー・ド・フォンの国際労働者協会の友人たちへ』より