なんで生きているんだって気持ちが高まっている

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まったくもううんざりしているんだ。食欲もあまりない。「なんで生きているんだ」って言葉が頭を何回も去来する。どこからか来て、ささやいて、帰っていく。どうせなら連れて行ってくれたらいいのに。「なんで生きているんだ?」のいるところに。

なんでおれのようなものが世界の端っこのほうで、こうやってうめきながら生きているのだろうか。どういう必要があって。あるいは、おれのなにが不要で?

おれが会うべきときにふさわしい人やふさわしいイベントに相対することができれば、おれの人生も変わっていたのだろうか。そんなことを思わないでもない。

けれども、結局のところおれは人生が変わるようなことは大嫌いで、守るべきものもないのに保守的だ。保守的というか臆病だ。生まれてきたときから、いや、少なくとも物心ついたときからそうだった。

いまさら薬を足したところで無駄だった。副作用ばかり出る。この気持の高まりもそのせいかもしれない。薬価が高い。さすがに高い。これはもうやめよう。「ちょっとぼくには合わなかったみたいです」。そう言いながら個人輸入できないか考えたりもするが、合わないみたいだから、合わないのだろう。

かといって、「なんで生きているんだ?」と思うほうがおれの客観的な情況について正常な可能性がある。自死を選んだほうが正常な可能性がある。濡れたイチョウの落ち葉がアスファルトにはりついている。乾くのを待って、箒で掃くのだろうか。だれが掃くのだろうか。少なくともおれじゃないんだ。おれじゃあ、ないんだ。