死の棘

 「そんなことはどうでもいいの」と、その女は言った。とてもきつい響きだった。2004年12月31日、JR山手駅のホーム、階段に近いところの話。言われたのは彼女の夫。帰省のためか大きな鞄。その間には小さな子ども。子ども背負うリュックには「Y...」とネームが入っていた。険悪な雰囲気。つまらぬ夫婦げんかを、ちらちら見るホームの人たち。そして俺。
 電車がホームにすべり込む。夫の方が妻の大きな鞄を持ってやろうとすると、妻は睨みつけてひったくり返す。車内に入る。妻と夫は向かい合わせの席に座った。子どもは母の隣にいた。夫が妻をなだめるように、通路越しに何か言った。妻は荷物を持って立ち上がり、恐ろしい表情で後ろの車両へとつかつか歩いていった。夫はばつが悪そうに情けない顔をした。向かい側に取り残された子どもの手を取って、妻の後を追った。
 俺は目の前を通る「Y...」君の頭にそっと手を置いてやりたいと思った。まだ柔らかな髪の、その頭をそっと撫でてやりたいと思った。この子の育つ中で、誰かそっとそれに終わりが来ることが、別の世界があることを教えてやれる人がいればいいなと思った。