映画『ツィゴイネルワイゼン』

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 これは、本当にまっさらな気持ちで見始めました。上の『真夜中の弥次さん喜多さん』と一緒に借りたものですが、私の方は『ツィゴイネルワイゼン』をずいぶん前にリクエストしていたのをすっかり忘れていて、かろうじて「鈴木清順が監督」と知っているばかり。しかも、その鈴木清順がほかにどんな映画を撮っているのかてんで知らないのですから、これはもうタブラ・ラサもいいところです。しかし、こんな映画を見る場合は、それくらいでちょうどいいのかもしれないと、後から思ったわけですが。
 というわけで、作品自体の年代も、舞台となる年代も、場所も、出てくる俳優も何一つ知らない。そんな中で出てきた原田芳雄の存在感ときたらない。そして、相方の藤田敏八(……という名前も後から知ったのですが、正直に言うと付けひげをつけたくりぃむしちゅー有田哲平に見えました)の空気。これはぐいぐい引き込まれますよ。しかしまあ、水死体の女の股からカニが出てくるあたり、僕はもうめろめろになっちゃったね。
 盲の門付け三人組。これにはノックアウトです。軍歌「戦友」の替え歌の響きと来たらない。人妻を攻めて時計ばかりがコチコチですよ、あなた。確か私の持っている猥歌替え歌集(ろくでもない古本を持っています、私も)にもあったのではないかと思いますが、ここらあたりがとてもいいのです。なにやら私がこういったものに浮き足立っているようにも思えますが、いや、これもまたこの『ツィゴイネルワイゼン』のある一要素に違いありません。
 切り通し。私は鎌倉の出だから、切り通し見た瞬間、「おっ」と思ったわけです。ああ、この切通がすばらしい。赤坂憲雄の『境界の発生』(http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20051015#p1)の冒頭でまさに取り上げられていたけれど、切通こそは生と死の境界なわけです。こうなると、流浪の角付けも俄然意味を帯びてくる。……などとまあ、いろいろな見方ができる映画なのかもしれません。私は難しいことは無理なので、そこらあたりは人樣の解釈を楽しんだりするわけですし、そもそも映画なんだから映画を見てそれでいいじゃないかと思えば、それで満足する私でもあります。切通を通って中砂の家へ向かう青池の姿はとてもよかった。
 物を食うシーン。食べ物に関して一番印象的なのはちぎりこんにゃくとなるでしょうが、シーンとしては青池夫人が腐りかけた水蜜桃にむしゃぶりつくところでしょう。この作品はエロチックな雰囲気が濃密にあるのですが、ここが一番でしたでしょうか。腐りかけの果実と女というのはエロいもので、田久保英夫の「蜜の味」(id:goldhead:20050513#p4)という短編小説を思い起こさずにはいられませんでした。あれを映像化したものといってもいいでしょう。
 『真夜中の弥次さん喜多さん』とたてつづけに見たのは全くの偶然でした。が、最初に「君と弥次喜多を決め込もうと思ったのにな」というような台詞があって、やがて主題でもけっこう重なり合う部分があることに気づきました。もちろん、テイストは違いますが(ちょっとしたおふざけのシーンにも通じるところがある)。あまりにも違うだろう、と誰かに怒られてしまうかもしれませんが、これらをたてつづけに見ては頭も狂うというものです。僕は生まれてから正常だったためしはないよ。
 とりあえずまあ、こんなところでしょうか。大絶賛の名作かどうかなど私にはわかりませんが、これはたしかになにものかがある映画でした。テンも中も終いもなく、ずっとわからぬ境界の悪夢を見ているようなものです。ああそうだ、とにかく長い、長さは感じた。ただ、その疲れがまた響いてきて、何度も屋敷を訪れて遺品を取り返す未亡人(のようなもの)の後ろ姿などが、不思議と脳に貼りつくという仕組みなわけでして、いやはや、本当にいろいろな映画があるものでした。