『メゾン・ド・ヒミコ』/監督:犬童一心

メゾン・ド・ヒミコ 通常版 [DVD]
 結局のところ、わかりあえて万事解決、円満終了ではない。「なによそれ」という疑問は疑問のまま、解答が提示されるわけでもない。いろいろの矛盾や問題は抱え込まれたまま、それでもそれを飲み込んでさらにわかりあええる気持ちもあって、先への予感があって、そういうところが好きだ。思えば、同じ監督の『ジョゼと虎と魚たち』もそうで、あれも(今感想を読み返したら、ろくなことを書いていない)、都合のいいハッピーエンドにはならなかった。
 父と娘。ゲイとしての道をえらび、家族を捨てた父と娘。ゴミのように捨てられたという思い。一方で、たとえ娘を愛していても、ゲイの、社会的な立場。最後の対話、それまでのエピソードが折り重なってあらわれて見事。
 柴崎コウ。実に一本槍の印象を受けたが、それがこの役、この映画にぴたっときていた。目に力があって、それがいい。緊張感をもたらす。おそらく、小さな塗装会社の事務員として、大幅なデチューン。それがかえって魅力的ともいえるような。がに股気味の歩き方、よし。脱げ落ちるサンダルの足先の、美化されていない生々しさ、よし。元教員のゲイの話に聞き入るときの顔も、よし(その話し手と話の内容はさらに最高)。
 濡れ場。キスがとても執拗で、エロい。盛り場の片隅でのキス、オダギリジョーの腰の浮かせ具合にしびれる。あの部屋での絡み。あの不自然さ、ぎこちなさ、まるで、たとえば小遣いのためにポルノに出たノンケの少年同士、あるいは少女同士のような。そして、ことが進んでいき、放たれる台詞の決定力。
 オダギリジョー。『新選組!』、『時効警察』その他、ひいき。これまた適役。適役過ぎる。欲望が欲しいというシーン、あの中学生を小突くシーン、あるいは、オヤジ死ねの旗なげ。それよりも存在自体。太陽に映える白シャツの存在感。ぴたっときていてとてもいい。
 光の具合。はじめの、暖かな世界、男色、否、暖色の世界。南仏的、理想郷的。事態がかわると、一転して青く、寒く、冷たく。また転じて……、と繰り返し、完璧主義ともいえるくらいの色合い。いくつか入る海、空の画の決まっていること。
 メゾン・ド・ヒミコの所在地、大浦海岸は三浦半島三浦半島プロヴァンス、「ソレイユの丘」の色合いなど思い出して、一人で納得。フランス映画のようだ。三浦半島、知らぬわけではない。主人公の勤める会社、川崎ナンバー、川崎だろうか。横浜から、京急で下るのか。そのよけいな土地鑑、お彼岸の日、また事務所に帰るのが、朝の歯磨きから、同日かどうかと少し混乱。でも、実際の撮影地は静岡県御前崎、相良。これにはやられた。一度出てきた、富士山の見え方、どうだったか。
 西島秀俊。会社の専務。なんでも食っちゃうところ。小さな事務所。ああいうところでするとき、戸棚にガンってぶつかったりするところ。キスさえしちゃえば、女なんてその先もやらせてくれるんじゃないかという期待、甘え、よこしまの心。なあ、そうだよ、そうなんだよ。麦茶をがぶがぶ飲むシーン、シャツの柄に、あっちに行ったのかと思ったが、勘違いだったか。
 死に際に読むのはエド・マクベイン。オダギリの吸っていたタバコは、カプリかソブラニーか。衣装や小物、映画の中の大きなところ。あのクラブは横浜。みなとみらいが映っていたが、伊勢佐木町、ハマのメリーさんの方か。自動車、どれも選び抜かれている感じ。オダギリの車はなんだったのか。パトロンのベンツ、迎えにきた白い軽自動車、専務の車、どれもすばらしい。いかにも田舎の路線バス。215号線は本当に三浦を走るが、あれはフィクションか。
 はじめに柴崎がバスに乗ってメゾンに行くシーン。そのシーンに流れる音楽のよさに、これはいい映画だと予感、いや、確信した。音楽は細野晴臣だった。

関連:『ジョゼと虎と魚たち』→http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20051011#p1

追記:http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2006/07/26/02.html

蟲師」オダギリ主演で実写映画化

 偶然、今日このニュース。『蟲師』はアフタヌーンを買っていたころには読んでいたっけ。多少面持ちは違うようにも思えるが、山の中をさまよったりする雰囲気は似合うかもしれない。それと、大友克洋が実写でやるのか。以前に実写をやっていたとは知らなかったな。