そろそろ古舘伊知郎はモンゴルに帰って静養した方がいいのではないか

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071208-00000065-san-soci

同夜放送の番組内で古舘伊知郎キャスターは「視聴者に混乱と誤解を与えるもの。間違ったやり方だった。申し訳ない」と謝罪した。

 問題の放送は見ていないが、こちらの謝罪放送は見た。……のだけれど、ぜんぜん謝罪に見えなかったので、おかしくなってしまった。なんで怒ってるんだ古館? 大丈夫か?
 というのも何も、時間帯的に報道ステーションを見ることが多い俺だけれども、もう古館を見ていると不安になって仕方ないのだ。古館が一つの話題ごとに深刻な顔をして一言吐く。それを聞いて俺は思う。「隣人は殺人鬼かも知れない」、「家族も信用できない」、「自分の食べている食品は毒かもしれない」、「地球環境は明日にも人類を死滅させる」、「政府も政治はまったく信用できない」……などなど。しかし、俺などはチャンネルを変えてもいいし、テレビのスイッチを切ってもいい。しかし、古館はそうはいかない。事を知り、言葉を発するというのは、単に受け取るだけよりも、ずっとエネルギーが必要だ。だから、そこまで毎日毎日暗くていいのか古館? 大丈夫か?
 と、このような内容は以前も書いた。そうだ、この週刊新潮の見出しは秀逸だった。
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20070615#p2

腹話術の人形みたいに空虚な古舘伊知郎研究

 まったくもってその通りだ。前任者の久米宏は、番組のスタンスは同じで、言うことのベクトルも似ているかもしれないが、古館ほど暗くはなかった。まだ、飄々としているところがあった、洒脱なところもあった。ところが古館、お前はどうしたんだ。隣にいる、本来もっと官僚的で機械的なはずの朝日新聞の人間の方が、よほど人間味あるように見えるときがあるぞ。
 ……って、こんな風に前任者と比べたりするから、才気煥発な古館がこんな風になってしまったのだ。殺人事件、構造不況、過酷な前任者との比較、政治家と官僚、ライバル局と視聴者とがよってたかって彼を苦しめ、でくのぼうみたいな男にしてしまったのだ。すまなかった古館。そして、休んでくれ古館。お前の憂鬱が電波に乗って、少なからぬ日本人に少しずつ伝播していっているのだ。悪かった古館、お前はよく頑張った。だから休んでくれ古館。そして、またプロレスやF1の実況でもすればいいさ。