石油作る藻の夢の無さ

 ちょうど一週間くらい前の話題だ。石油をつくる藻の有望株が見つかったという話だ。

 研究チームの試算では、深さ1メートルのプールで培養すれば面積1ヘクタールあたり年間約1万トン作り出せる。「国内の耕作放棄地などを利用して生産施設を約2万ヘクタールにすれば、日本の石油輸入量に匹敵する生産量になる」としている。

 石油輸入国である日本が、一転して輸出国にすらなれそうな話だ。アントニオ猪木が持ち込んできた話でもないし、なかなか信用できそうではないか。もう、ここに日本浮上のすべてをぶち込んでみてもいいんじゃないのか。
 ……と、怪気炎を上げる論調というのもあまり見られず。俺の中にあるにしても、あまりテンション上がらず。一週間経っても、まあ、一週間前の話だよね、と。
 この「感じ」はどこからくるのだろうか。俺についていえば、やはり21世紀に裏切られた感が大きいというところにある。70年代の終わりに生まれた俺にとっても21世紀というのは21世紀というくらい輝かしい未来だったのだし、ドラえもんの世界そのもののようなイメージだった。まあ、一世紀くらいの誤差は気にしないとして。
 それが、いま外を歩いてみても、銀色のつなぎを着て歩いてるやつなんていやしない。エアカーが空を飛んでるわけでもなく、ビルも相変わらずで、ガーンズバック連続体なんかありゃしない。ガーンズバック連続体ってなんだ?
錠剤食糧とるの忘れたわ - 伊藤計劃:第弐位相
 話は飛ぶが、セグウェイがいけなかったな。コードネーム・ジンジャー、だっけ? あれ、かなりの人間が「空を飛ぶんじゃねえの?」って思ったんじゃないかな。それが、蓋を開けてみればあれだぜ。いや、あれだって十分すぎるほどすごい技術なんだけれども。ただ、「コレじゃない」感はあったはずだ、少なくとも俺はそう感じた。
 と、まあ、われわれを今とりかこんでいるのは「これだって十分すぎるほどすごいんだけれども」か。インターネット、すごい。携帯端末、すごい。すごすぎる。それに、昔からあった車も、電車も、バスも、犬も、猫も、すごい進化してるはずだぜ。すごまってるんだ、すごすぎるけど、それはわかっているんだけれども。
 こういう失望の名前をなんと名付けたらいいんだろう。
 ないものねだりなのはわかっとる。お前におまえにいわれんでもわかっとる。一夜にして世界のしくみをひっくり返すような新技術なんてものはないのだろう。むしろ、そういう技術こそ、この記事に出ているレベルの、まだ実用化の遠いところから話が公になって、慎重に検証されつつ、ことが運んでいく。そういうものだろう。決して、石油メジャーの刺客が、などということはないのだ、と、言いきれはしないけれども。
 ただ、まあ、石油か。正直、石油の上に生まれてきただけのラッキーな大金持ちが吠え面かくのを見たいという思いはあるよ(……と、水や緑に恵まれて、基本的に自然が敵でない世界に生まれてきただけのラッキー野郎が申し上げます)。べつにまあ、日本が技術独占とか、輸出で大金持ちってんじゃなくて、少なくとも石油に右往左往しないでいい余裕というか、そのあたりが得られればいいだろうと。でも、石油か。なんつーか、藻による作りたてでも、クリーンエネルギーじゃねえよな、とか。まあ、エコロジー、環境、大切、温暖化、ダメ、絶対、だろ、とか。そのあたりも、なんかブレーキになるみてえなのあるんだろうか。
 まあ、そんなわけで、藻から石油の可能性について期待しないわけもないが(もっとも、これを科学的に見て妥当かどうかというのは、自分ではいっさい判断しようがないわけだが)、どこか冷めているというか、そんなところがあるのかな、みたいな。いつになるかわからんが、試算通りに実用化されても、やっぱり「十分すぎるほどすごいんだけれども」と思うのかな、とか、あるいは、今ここから歴史を眺めて「これは世紀の大発明だったな!」と思うようなものについても、いつの時代も庶民が受け取るころには「十分すぎるほどすごいんだけれども」って思ってたのかな、とか、そんだけの話。いや、最後の庶民云々は打ってて出てきたから、それだけで終わってないんだけれども、まあいいや。
 ……いや、いつの時代もってこともないか、受け取るといってもな。たとえば、鉄砲持った白人がどっかそういう文明のまったく無いところに行ったら、それこそ神か悪魔かというショックだろうし、日本人だってついこないだ黒船見て夜も眠れなかったくらい衝撃だったんだぜ。いや、蒸気船と上喜撰かけて、誰がうまいこと言えっつーか、余裕あるじゃん。まあいいや。