というか、いいね、こういう入門書というか、初心者向け講座というのは。『朝日平吾』の中島岳志の名で検索してひっかかったから借りてみたが、たいへんためになった。というか、こんな基礎知識を知らずして生きてきて恥ずかしいというレベルの学びがあった。

保守とはなにか?
まず、保守思想についてですが、保守の一番の基礎のところは、人間の個人的な理性によって理想社会が作られるという考え方に対する批判です。「そんなものは不可能だ。人間の能力の限界を直視せよ」という発想です。あるエリートの突出した理性によって社会が合理的に設計され、それに基づいて理想的な社会をつくることができる。こういう理性的な統治の理念に対して、それには限界があるということを常に言い続けるのが、保守が持っている一番の核心部分です。
「1章 保守・右翼・ナショナリズム」中島岳志
ああ、そうなの、そういう観点から見りゃよかったの。社会を究極的に設計できるかどうか。計画できるかどうか、それに対する信頼と反発。
その背景には、保守の懐疑主義的な人間観というものがあります。端的に言うと、人間の悪を直視するということです。
「人間はどうしようもない存在である。常に嫉妬をしたり、エゴイズムを捨てられなかったり、軽率を免れなかったり、さまざまなグロテスクな感情がある。それをまずは直視しよう」という姿勢が彼らに共通してします。人間の能力には限界がある。人間は不完全である。こういうことを謙虚に受けとめるのが、保守を支える人間観です。
へー、そうだったのか。いや、マジで、保守の人がそういうのの保守してたわけか。いや、これは絵に描いた保守像なんかしらんが、そういうふうな評価軸があるんだ。これを「保守」と読んでいいのかどうかわからんし、このものさしがどれだけのものか、俺にはわかりようもないが、こういう目でサーニャを見たり、いや、今まで読んだような気になっていたかどうかすらあやしい思想の本とかを読み返してみれば、なんかいいことあるかもしれない。
……って、とりあえずバクーニン先生の『神と国家』とか『鞭のドイツ帝国と社会革命』などめくってみたんですが、この徹底的な自由への意志、国家はじめ組織の、科学的権威の、科学的社会主義の否定、最後には「宗教や国家なんてものよりもの、人間社会、人間ってもんがいちばんやっかいだぜ」とか言ってて、保守を攻撃しているようでもある。「社会的秩序」がいちばんやっかいだって。でも一方で、……と、気づいたらこないだ古本で買った『論注と喩』の親鸞とか開いてて、30分以上経ったからまた今度にします。でもなんか、この、古いアナーキストたちの、自然科学的に見て人間は自由人、平等人の方へ行くんだって、そこんところのなんか科学を信用する一方で論拠足りないなって感じがなんとも俺は好きなんだけれども。
まあ、ともかく、たとえば昭和戦前の右翼にしたって、北一輝や大川周明みたいな革新右翼は設計主義で、頭山満みたいのにはそんなのなくて、むしろ近代理性主義、合理主義だろって批判する側だったんじゃねえかとか、なるほど。
二つの右翼
で、そのまま第2章の片山杜秀の右翼話に入ってって、これもわかりやすかった。そもそも(明治)天皇の政治は「しらす」(古語)ものであったのに、当初は生きていたそのあたりのニュアンスが結局なくなって、ご維新の元勲とか元老とかの制度的じゃない個人の力で回ってたもんがなくなると、なんつーの、ネタからベタへじゃねえけど、建前の制度だけ残って、そんなんで回らないまま戦争やって東条だってやりようねえじゃん、みてえな。日本の政治は、だれかが強力なリーダーシップを発揮するのではなく、皆が互いの意見を「知らせ合う」。天皇陛下も一番偉いとはいっているものの、自分の意見で「うしはう」存在ではなく、上になってみんなの気持ちを「知って」「知らせ合って」、落ち着くところに落ち着かせるためにいる。だから、天皇陛下が自らご聖断を下すとか、決断するとか、日本の政治に対して天皇大権を使って何かをいうことは、通常はありえないというコンセンサスのもとに、明治憲法はできたと考えられもするわけです。
ところが、時代が下り、大正、昭和になると「しらす」なんてことはみんな忘れてしまいます。
ふーむ、そんで、そんなんで、石原莞爾とか若い世代が、天皇に実権を持たせて強力政治だ、総力戦だって設計主義的な、国家社会主義的な一派も出てくる。でも、一方で、「ありのまま派」とでもいうべき連中はそれに反対する。
で、そこんところがあの、統制派と皇道派なのだぜ。皇道派は、もうちょい農本主義的な右翼で、やや牧歌的で、鼓腹撃壌的なわけだ。で、この二つの用語なんてのは、たぶん小学校の教科書にだって出てきたんじゃないのか? ようやくそれがなんなのかわかったような気がするんよ。
では、皇道派と結んだ北一輝の国家社会主義もそういうものかというと、これはまた違います。北が皇道派の青年将校と組んだのには、やはり方便があると思います。しかし、そこらへんは突っ込むと微妙なので、北は多義的存在であるということだけをいって、やめておきます。
ええ、すごい気になる! つーか、高校の時の国語(日本史じゃないよ)の教師が完全に全共闘くずれみたいなので、夏休みの宿題で「天皇の統帥権についてレポートで書け」みたいな課題出してきて、親父にちょっと聞いたら「北一輝読め」とかわけのわからんこと言ってきたの思い出した。北一輝について読もうか。
理屈と気
そんで、話が飛んで第4章でもまた評価軸が出てきてて、まさに十字の評価軸表で、横の軸の左に丸山眞男、右に平泉澄という人がいて、縦の軸の上に西田幾多郎がいて、下に蓑田胸喜がいる。これ、横が理の左右で、縦は気のポジティブ、ネガティブだという。丸山眞男もどんなんかよう知らんし、平泉澄については名前自体初見みたいなもんでようわからんが面白そう。で、縦軸。こっちはなんか東アジア的だという。西田幾多郎は何冊か買ったりしてチャレンジしたが、なに書いてあるのかさっぱりわからん。だいたいここが俺の脳みそが文字を受け入れるかどうかのライン。で、この本の上村和秀解説だと、ただ、なんかこう、ポジティブで、世界に向けて、近代の先に日本からぶっ放すみたいな、そんなもんだとこの本には書いてある。その解説のノリを読んで思いうかべるのは、西田幾多郎の盟友といっていいかしらんが、俺の大好きな鈴木大拙で、そんな感じかしらん。まあともかく、右と左なんかじゃ日本思想簡単に分けらんないよってことらしい。
そんで、蓑田胸喜はともかく人の足をひっぱることばかりに終始したって言われてて、『民主と愛国』でもそんな話で出てきたかしらん。で、ともかく蓑田は片っ端から批判したと。
こういう人は、右翼と呼ぶべきなのかどうか、すごく迷うんです。単にネガティヴなだけではないのか、と。そして、そういう考え方の人が政治がかって、日本にかじりついて、必死に雰囲気を悪くしていったんです。
ルサンチマンでネガティヴなわたくし
で、最後に第3章「文系知識人の受難 それはいつからはじまったか」なのですね。文系知識人に対するなんというか、上から目線に対する下から目線、そういったものがどっから出てきたか、みたいなお話。そんで、インターネットとかいうもので、大衆の知識人に対するルサンチマン、冷たい目線がすごい可視化されてるとか言われてるわけでして。東浩紀さんは、冒頭で引用した「赤木さん的ルサンチマン」をこう説明しています。
「インターネットは、いままで発言する機会のなかった人たちにも大量に発言する機会を与えた。また、いままで見えなかった小さな格差や差異を大量にみえるようにした。そのことによっていいことも起こるけど、悪いこともやっぱりたくさん起きるんですね。その一つの結果が、小さな実感に基づいたルサンチマンのネットワークだと思います」。
って、引用の引用なんですけれども。で、こういうあれが今現在に限ったことじゃねえよってお話と、インテリ側が本当の下流にドンとやられるとシュンとなるルサンチマンのお話(よく親父がそこでシュンとなるやつは本物のインテリじゃねえんだって言ってたけど、吉本隆明経由だろうか)なんだけど、それは置いといて、まあともかく、俺もそういうルサンチマンのネットワークの大河の一滴になっているかもしれず、まあ一滴ほどの量もあるかこのトラフィックの中ではおおいにあやしいのだけれども、そういう感じがある。
それで、俺は俺が書いたものに対する反応に目を通さないようにしているのだけれども、遠回りに望む反応というものがある。それは、俺の中の宅間守、朝日平吾の鬱屈、蓑田胸喜の狂気を打ち消してしまうほどの光、すばらしくポジティブで救われるような言葉、これである。たまたまリンク踏んでみて、俺の愚痴なんてふっ飛ばしてしまうくらい強烈な言葉、そういうのが読みたいんだ。だが、そんなのは見たことがない。人気のライフハックエントリなんて、むしろ俺の下から目線を、鬱屈を、ルサンチマンを増大させるばかりの、偽物ばっかりだ。どうかしている。ただ俺一人どうにかできないのか。
……って、どうかしているのは俺かな。俺は病んでる。いつの時代も病んでるやつがいる。それが多かったり、少なかったりすることもあるだろうし、似ていることもあるだろう。
『ヘブライ語聖書』の箴言「アグルの言葉」にこうある。
父を呪い、母を祝福しない世代
自分を清いものと見なし
自分の汚物を洗い落とさぬ世代
目つきは高慢で、まなざしの驕った世代
歯は剣、牙は刃物の世代
このあとにこう続く。
それは貧しい人を食らい尽くして土地を奪い
乏しい人を食らい尽くして命を奪う
これはどうもしっくりこない。
貧しい人を喰らい尽くして土地を奪ったもの、乏しい人を食らい尽くして命を奪ったものを(二文字伏字)する、できることなら、そういきたいもんじゃないか。
……いかん、そろそろお薬の時間です。薬を飲んで寝よう。今の時代は、少なくとも脳内のネットワークをいくらか野蛮な方法でコントロールできるし、やがてもっと精密にやっていけるようになるだろう。そのときには、蛍光灯の光ですら福音の光になるにちがいない。思想のことは、そのときゆっくり考えよう。おやすみ。
関連
(読んだり持ってるのじゃなくて、この本で紹介されていて読みたくなっったもの。個人的メモ)

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