この嫌な感じはなんだ……?『ゼロ・ダーク・サーティ』を観る

 ビン・ラディンが殺されたのはいつのことだ? ……突然そう尋ねられて、すぐに答えられる人はどのくらいいるだろう。反語的な表現、すなわち「少ないはずだ」と言いたいわけじゃない。本当にどのくらいいるのか、おれにはさっぱり想像がつかない。たいていの人が知っているのか、知らないのか。ちなみにおれは「わかりません」。あるいは、口からでまかせをいうときに出る「2年くらい前?」か。

 正解は2011年5月2日。「2年くらい前」が正解かどうか。そもそも、9.11という数字を覚えていても、それが何年だったかというのも曖昧だ。同時代で世界が一種の戦争状態にありながら、関心というものはないのか……そもそもおれは自分の人生に関心がないせいで、大体の事柄が「2年くらい前?」ではあるのだが。
 本作は高卒でCIAにリクルートされた叩き上げの女性分析官が、対ビン・ラディン作戦に投入されたその終着までを描く作品だ。冒頭、えんえん続く捕虜虐待シーンなどから、「対テロ勝利、アメリカ万歳!」の映画じゃあない。とはいえ、現実がそうであるように、結果的にはそうなっちまう。そうなっちまうところで、彼女が流した涙の意味するところはなんだろう。帰るところがなくなってしまったのはなぜだろう。
 この映画にはサスペンスかスリラーかミステリーかわからぬが、そういうどきどきは常にある。常にあると同時に、なにか嫌な感じがつねにつきまとってきた。観ていて不安になるところがある。おれにはおれ自身のその不安の正体がわからず、いささか困惑している。困惑しながら感想を書いている。無論、一級品の映画だろう。ただ、おれは不安になる。よくわからない。それは現実のテロをめぐるものに対するものなのか、この作品が持つ、たとえば主人公の生きざまといったものに対するものなのだろうか……フェアネスという意味で書いておけば、精神疾患のおれが映画と関係なくたまたま日曜日の憂鬱を感じているだけ、という可能性もあるが……。
 というわけで、この映画はおれになにか暗いものを残した。それは『炎628』よりも大きいかもしれぬ。今はそのことを記すだけ記して終わる。