金氏はアルファ碁が打った型破りな手の一つについて、「もし韓国、日本、中国のプロ囲碁棋士1300人全員を調査しても、誰一人としてあの手を打たなかっただろう」と評した。
AlphaGoには人間とはまったく違う世界が見え、まったく違う正解が見えていた。 人間の定石を身につけて強くなったのとはちょっと違うらしい。たぶん、そうとう違うらしい。
F1カーの話をする。おれはむかしF1をよく見ていた。そして思ったものだった「レギュレーションというものもあるのだろうか、人間を乗せてとてもとても速く走る自動車の形というのは、必然的にこうなるのだろうか?」と。
もし、AlphaGoのような存在が現在のF1のレギュレーションを与えられて、自動車をデザインせよと言われたら、他のチームが作ったものと似たようなものになるのだろうか。似ても似つかないものになるのだろうか。
いや、フォーミュラ、F1などという制限を外してしまってもいい。人間という生き物1人〜5、6人を雨風や寒暖から守りつつ快適に移動させる道具をデザインさせてみたらどうなるのだろう。ひょっとしたら、現在われわれが「自動車」と呼んでいる代物とまったく違う答えを出すかもしれない。「カーデザイナーの誰一人としてあの乗り物は作らなかっただろう」。
おれは機械のことも算数のこともよくわからないが、AlphaGoやディープラーニングとかいうものには、以上のような理由で興味津々である。いろいろの技術や制度、システムが淘汰を経て最適化されてきている……と思っていたら、ぜんぜん別の正解が提出される可能性がある。
人類もさまざまなブレイクスルー、パラダイムシフトを起こしてきたかもしれないが、それらがいろいろの分野で一気に起こるのではないか。そして、おれたちは上下銀色の全身タイツに身を包み、腕時計型のテレビ電話で通話し、エアカーで通勤する……ような旧来の(昭和)の未来ではなく、まったく違った未来を生きることになるかもしれない。
それまでは、ちょっと死ねないぜ、という気がする。人工知能がデザインするもの、そしてシステム、あるいは政策。「日本の少子化問題を解決するには、今後5年間に生まれる男子の名前の26.9%を『大五郎』にすればよい」とか信頼できる人工知能が言い出したらどうする? おもしろいじゃないか。