篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝 (河出文庫 た 24-1)
- 作者: 竹熊健太郎
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2007/12/04
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康芳夫
伝説のプロデューサー、虚業家。しかしおれはこの本でも使われている「呼び屋」というのがしっくりくるかな、と思った。
『アントニオ猪木対アミン大統領』(一九七九年)ですね。当時その記者会見を新聞で見て、脳が焼けるほどのインパクトがありました。
そうだろう。あのとき、どっかの酒場でマンガ家の赤塚不二夫君と飲んでてさ、彼が「康さん、もう俺、マンガ家をやめる」っていうんだよ。「だって康さんがこんなことを現実にしちゃうんだもん。この世にマンガ家が存在する理由がなくなるよ」だってさ。
(太線が康芳夫の発言)
結局、アントニオ猪木対「人喰い大統領」アミンの対戦は実現しなかった。しかし、康芳夫は「現実にしちゃ」ったのは確かだった。そうなのだろう。その1979年生まれのおれにしたって、なんと荒唐無稽な、と思わずにいられない……ナンセンス? スペクタクル? わけがわからない。まさにベラボーな話である。天才赤塚不二夫にそんなことを言わせるに十分だ。昭和、おそろしい、おそろしい。人類猿オリバー君、ネッシー、モハメド・アリ対アントニオ猪木、トラ対空手、家畜人ヤプー、三浦和義のアナーキー人生相談、どれもすごい。虚実皮膜の世界である。
石原豪人
おれは正直世代が下なので、石原豪人については名前を知るのみだ。あまり画風といったものは知らない。どこかで竹熊の同級生である桜玉吉がパロディにしていたっけ? くらいだ。だが、話はめっぽう面白い。とくに、読み書きができるだけで軍に入ってスパイになれたなんてのがいい。子供の二重スパイの偽情報の点を繋いで線にして本当の情報を炙りだすとか、そんなのも興味深い。でも、どうでもいいところを引用したい。
ところで上京する前、未払いの画料を受け取るために、ある注文主の家に行ったんですよ。玄関に立って「こんにちは。絵の代金を受け取りにきました」っていったら、その注文主も顔役の弟分でね。どうしたわけか、スッポンポンの全裸であらわれました。要するに金が全然なかったみたい。「すまない。今は金がないから、俺のチンポで我慢してくれ」と。ホモだったんですよ。それで冗談じゃない、あんたのチンポなんていらないよっていって、上京したんですけど。
どういう上京ものがたりだ。
川内康範
この人の名前を知ったのは森進一の騒動のときだったか。それに合わせて竹熊健太郎もネットに文章をあげていたのだっけ? それでこの本を知ったのかな。まあいい。なによりこのひとことに尽きるだろう。
憎むな! 殺すな! 赦しましょう!
「人類が平和に暮らすためにはそれに徹するしかない」ときたもんだ。右よりとされているが、左右もないデケエ人だ。スケールが違う。
僕は児玉誉士夫さんと会って「私は天皇に戦争責任があると思う。だから(終戦に際して)自分はどうなってもいいと陛下はおっしゃったんじゃないのか」っていった。児玉さんも「私もそう思う。けれど、そうおっしゃられた陛下を、われわれ日本人がこれ以上責めるのはいかがなもんだろう」っていうんだ。その気持ちも理解できるよな。それ以来、児玉さんとも友だちになったよ。
とかな。兵役免除になった戦争での体験とか、まあいろいろあるよな、と。
ただ、現憲法はアメリカに押しつけられたものだという人もいるけれど、そうであっても第一条と第九条を死守する。世界中が戦争をしてもわが国はしないといえる必要がある。国際貢献とは医療、食糧援助、環境保全。そのためには自衛隊も出しましょう、民間人も出しましょう。ただし戦争はしません。そういうことでしょ。アメリカから押しつけられたものであってもいいものであればわれわれは守っていけばいい。
糸井貫ニ
通称ダダカン。この人に関しては、竹熊健太郎なくしては名前も知ることはなかっただろう。アウトサイダー・アートと称されるものの、さらに外にいるかも知れない人。日本万国博覧会で太陽の塔で籠城事件が起きた。そこに岡本太郎も来た(籠城事件について「イカス!」を連発したらしい)。そして、全裸のサングラス男も来た。股間の逸物をブラブラさせ全力疾走で太陽の塔に走っていき、機動隊に取り押さえられた男、それがダダカンである。この全裸男はあまり報道されず、歴史にも残らなかった(とはいえおれは太陽の塔の籠城事件も知らんかったが)。これまたベラボーな人物であろう奥崎謙三が、『ヤマザキ、天皇を撃て!』をやらかしたとき、同時に発煙筒事件を起こしたアナーキストみたいなものだろう。
まあ、その生きるアウトサイダーがダダカンだ。著者がじりじりと周囲からあたっていき、ついに本人にというのは読ませる。その周囲の豊島重之さんの話から引用する。
……でもダダカンには反権力の意志はあるようで、ないんですよ。あるのはただ一人のそこはかとない匂い。その「そこはかとなさ」が強固なんです。
フラジャイル、ゆえに強固。そこに不思議な像を見ようじゃないか。芸術家ともなんともいえない存在を。その生活はまるで『臨済録』の普化のようでもある。一方で、わりと俗なところもあっておもしろい。この人も虚実皮膜の人だろうか。いや、やはりなにか一本貫くものがある。このような人が記録されたのは、実によいことのように思える。
まあ、そんなところか
>゜))彡>゜))彡>゜))彡>゜))彡
- 作者: 奥崎謙三
- 出版社/メーカー: 新泉社
- 発売日: 1987/08/01
- メディア: 単行本
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この人もベラボーだろうが、「サブカルチャー」ではないか。
創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)
- 作者: 輪島裕介
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/10/15
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この本の川内康範のところに本書への言及があって、おれは「そういや読んでなかったな」っておもった。