競馬の記憶、ある詩人の回想する第1回日本ダービーのこと

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おれの好きな詩人・金子光晴の随筆を読んでいたら、こんな記述を見つけた。「異質な中心がほしい」というタイトルで、昭和45年10月『ユリイカ』には「へんな夢」という原題で掲載された。

……むかしから、私の友人の詩人で気の合った仲間はごく少ない。だいたいは、年に一度くらい会えばそれで充分で、そういう人たち、惣之助とか、北村初雄とか、先輩の増田篤夫だとかいう人たちはみな死んで、いまでは、井上康文とか、前田鉄之助とか、中西悟堂とかがのこっているが、会うとなるといろいろ面倒だ。井上は競馬、中西はトリと忙しいらしい。

「中西はトリ」というのは、「野鳥」という言葉を造語し、「日本野鳥の会」を発足させたたりしたあたりのことだろう。Wikipediaでは詩人より先に「野鳥研究家」と記されている。

中西悟堂 - Wikipedia

それはともかくとして、おれが気になるのは「井上は競馬」の方だ。おれは井上康文という詩人の名を知らない。だが、詩人と競馬というのは相性がいい。チャールズ・ブコウスキーとか、寺山修司とか、チャールズ・ブコウスキーとか。

井上康文 - Wikipedia

情報が少ない。「競馬にも関心が深かった」とあるだけだ。

そして、見つけたのが血統評論家の栗山求氏のブログの記事だった。

井上康文没後40年(前) | 栗山求の血統BLOG

井上康文没後40年(後) | 栗山求の血統BLOG

本当は書物にあたってみたかったが、Amazonでも横浜市の図書館でも取り扱いがない。栗山氏のブログから孫引きさせていただく。『優駿』1964年(昭和39年)5月号に掲載されていたという1932年(昭和7年)4月24日、目黒競馬場で行われた第1回日本ダービーの回想である。勝ったのは、ワカタカ。

「ともあれ、その東京優駿大競走のあった日は、小雨が降っていて、古靴に雨水がしみて気持が悪かったこと、向う正面の八重桜が雨にぬれていたのと、せまい下見所のそばの水溜りに桜の花びらが散って泥によごれていたということ、函館孫作という赫ら顔の小柄な騎手が、やや状態を起して、ふわふわと乗っていたような感じと、何よりもはっきりと覚えているのは、紫の格子縞と、赤袖、赤帽の綺麗な服が、先頭に立ったままゴールに入ったということだった。」

なんともいい。おれはこの文が好きになった。栗山氏ブログの(前)の方に引用されている文章もじつにいい。

しかし、行くところにいけばあるのだろうが、とりあえずおれの(Amazonと図書館の蔵書検索というごく怠惰な)行動力では、原典にあたれない。井上康文という人の競馬本は、もう手に入りにくい。惜しいことだ。『日本の名随筆』シリーズに「競馬」もあったと思うが、たぶん井上の随筆は掲載されていない。

惜しい話だ。競馬のいろいろな名文は、たとえば寺山修司のものくらいしか残らないのかもしれない。『優駿』などに掲載されていれば残りはするだろうが、そのほかのものは散逸してしまう。

随筆ならまだましな方で、予想文などというものはレースが終われば用済みで(とくに外れた場合は筆者が隠したくなるかもしれない)、それこそ残らない。おれの大好きな清水成駿の「スーパーショット」や「馬単三国志」も、物好きな清水信者が切り抜きを残しているかもしれないが、それがまとまって書物になることもないだろう。やはり惜しいことだ。

今や高画質な映像でレースの記録は残るようになった。とはいえ、「古靴に雨水がしみて気持が悪かった」という競馬好きの記録は残せない。競馬好きの文人はぜひとも競馬の記録を、記憶を残してもらいたいものだし、それがあっての競馬の文化というものだろう。あるいは、今やブログやなにかで皆が言葉を刻めるようになった。その電子データがどこまで残るか知りはしないが、書いてみる価値はあるだろう。あるいは、匿名掲示板のレース前の予想合戦や、レース後の反省会などが残っても面白いかもしれない。競馬は記録と記憶のスポーツである。

 

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日本の名随筆 (別巻80) 競馬

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